古希を目前としていた平成27年春、私の身に"まさか"が起きていた。
 下半身が重い、だるい、痛いなどがあって、不安は日増しに大きくなっていた。

 私は、昭和20年8月生まれの終戦っ子である。
 幼少期は、敗戦による食料難や年子の弟妹が次々と誕生したことなどもあってか、栄養失調症を患い病弱なうえ運動全般が苦手な、両親にとって心配の多い子供だったと思う。
 地元の普通高校を卒業し隣町の郵便局に就職。
 縁あって昨年秋に急逝した夫と結婚、23才で長男を27才で二男を出産した。
 結婚後も仕事を続けていたので、育児・家事との両立は厳しく体が悲鳴を上げてしまった。
 頸肩腕症候群や腰痛・坐骨神経痛などに悩まされていたある日、治療中の医師から「この程度の症状ならば、治療よりも体力をつけた方がいいのだが...」と言われた。早速、翌朝からジョギングをスタートした。
 他に、縄飛びや卓球、スキーなどにも次々と挑戦していった。
 病弱だった私はぐんぐん元気になっていっただけでなく、性格までも明るく、何事にも積極的に取組むようになった。
 健康に自信がついた40代からは、仕事を通して得る達成感や充実感を追い続ける日々であった。
 60才で定年退職するまで、まさしく仕事人間と化して全力投球していた若き日が懐かしく思い出される......。

  退職後始めたこと

 勤続42年間で、5回の転勤があり、最後は自宅から近い郵便局で都合が良かった。
 退職後始めた趣味などに川柳、新舞踊、カラオケがある。医師のアドバイスで始めていた早朝ジョギングは、50代でウォーキングに変えていた。他に、もう一つ毎朝やっていた登校ボランティアがある。
 町内の児童と2キロメートル先の小学校まで一緒に登校する。途中ゴミを拾ったり、交通ルールや挨拶の大切さを教えたり、転んでできた傷の手当をしたり...。
 9年間続け、小学校長とPTA会長名の「感謝状」を、全校生徒の前で頂いた。
 丁度この頃、私の下半身には"まさか"の異変が始まっていた。
 当時の日記から、不安な日々を紹介すると、
 〇 夕方になると疲れてしょうがない。一日も早く元の体に戻りたい。
 〇 どうしても体の具合が良くない。夕食の準備が辛い。
 〇 いつもの靴が重く、歯を食いしばって歩いた。
など。以後、病名が判明し服薬治療がスタートするまでの数か月間は、私にとっては地獄のような日々となっていった。

  カーブスとの出会い

 朝から晩まで、寝ても覚めても「痛い、辛い」とうなり(・・・)、不眠症も加わってもうろうとした意識を覚せいさせたのは、ある朝の新聞折込みの中のカーブスのチラシだった。
 -腰・肩・膝が気になる方、1回100円で体験できます-
 このフレーズが私の心を捕えた。日々、苦痛にあえぐ私にとってこのチラシは、絶望の闇の中で出会った一筋の光のようなものだった。
 平成27年3月25日、この一筋の光を求めて、「カーブスベルシティ新津店」へ出向いた。
 その日の日記には、
 「思い切って行ってみた。コーチから入会に伴う説明があり、少しだけマシンの体験をした。好印象で、一日も早く結果がでることを希望する」とあった。
 訪ねた初日に好印象を持ったのは、スタッフ一同が満面の笑みと明るい声で迎えてくれたことや、店内のアットホームな雰囲気に癒されたからだろうと思っている。
 だって私は、あの日から3年経った今でも「敏枝さ~ん」と明るく呼ばれると年令も忘れ、身についた重いストレスも消えて、「ああ、今日も来て良かった!!」と幸せな気分になっているのだから。

  カーブスの真骨頂に魅せられて

 体調不良で休んでいた際、スタッフから時折「お体は如何ですか?」と電話があったり、「体調が少しでも良くなったら、いつでも又、一緒に筋トレしましょうスタッフ一同お待ちしております」などと励ましの便りが届いたりした。
 突然、外出もままならなくなった者にとって、外部からの親切は心に染みて有り難く、病の辛さを薄めてくれていた。
 これこそが、カーブスの真骨頂だと知った。
 又、サーキットでマシンを操作しながら、店内に所狭しと貼られた掲示物に目を通しているが、
①痛みがある時の運動の仕方-急性期と慢性期-
②なぜ痛みに筋トレが効くの?
に心が動かされている。以前、当店のスタッフ一同で発行された小冊子を大切にしているが、その中のAコーチの体験からのアドバイス「体調を崩す前、痛みが出る前に筋肉をつけると免疫が上がる。痛みが和らぐという事を皆に当り前の知識として知っていてほしい」には、アンダーライン(赤)を引いて自重している。

  私がカーブスを続ける理由

 長期間、私を苦しめた原因不明の病魔であったが、神経内科へ通院を重ね、種々の検査を行って判明した病気は「パーキンソン病」だった。
 この耳慣れない病は、発症原因や治療法が解明されていない難病である。
最近では、大学でのiPS細胞実験・遺伝子欠損発見に期待が高まっているが。
 「なんで私なの?」「体がこんなでなかったら」と悔しい思いが込み上げて来たが、家族に囲まれ多くの友人達から温かいアドバイスを貰い、冷静になって、
-この病に、私の残された人生を支配されない!!-という強い覚悟で生きる決意をしたあの夏の日。
 この厄介な病の治療法は、服薬と運動(リハビリテーション)が両輪という。
 服薬は医師に、運動はカーブスに、私の人生の最終ステージを委ねることに少しの迷いもなかった。
 都合の良い日時に、短時間でしかも自分の体調に合わせて、筋トレ・有酸素運動・ストレッチが一緒に行えるなんて、私の「運動治療」に最適と確信している。
 現在、私の病状は緩やかな進行で、先頃の通院時には担当医から「今の調子を続けるように...」と褒めて頂いた程だった。
 とは言え、手足の震えやふらつき、関節の不自由などの代表的な症状が私の日常生活を妨げていることは確かである。
 カーブスでは、何故か病を忘れている私。
 他のメンバーさんとの世間話やスタッフの真心のこもった対応に感激し感謝の気持ちでいっぱいなっているからなのか?

 私、友人3名と今年4月から老人ホームで「歌と踊り」のボランティア活動をスタートする予定。
 その夢の実現のためにも病に負けない心と体が大切になる。
 あせらず、あきらめずにカーブスへ通って、「あしたの自分にきっと驚く」を体現してみたいのである。