今の現代では2人に1人がガンにかかると言われています。身近な人をガンで亡くしたりして悲しい思いをしている方はたくさんいらっしゃることと思います。ですが、それが自分の身にふりかかるなんて私自身考えたこともありませんでした。
昨年6月、検診で乳ガンがみつかり検査をくり返した結果、やはりまちがいなく乳ガンでした。さわってもしこりのような物も全くなく自覚症状は何もなかったのでただただおどろくばかりでした。主治医の先生も触診では全くわからないとのことでエコーにてそれらしき物がかすかに映り、検査をくり返したのでした・・・信じられない気持ちでした。でも逆を言えばそのくらい小さなガンでした。そんな小さなガンを早期発見できた事に感謝し、完治を目指し、治療することを決意しました。1cm弱・・・9ミリほどの小さなガン、転移などもみられず、ステージ1との診断が出ました。乳房温存でも十分大丈夫との事でしたが、完治を目指した私は主治医の先生に、全摘でお願いします!!悪いもの全て取って下さい!!そして少しでも長く生きたい!!とお願いしました。
こわくなかったか?と聞かれれば正直、こわかった・・・・でも私はガンに負けたくありませんでした・・・だからこそ全摘手術を受け全て取りのぞきたかったのです。
子供の頃から体が弱く両親にいつも心配ばかりかけていた私。一生懸命両親に育ててもらい、大人になることができましたが、大人になり結婚してからも、あまり丈夫ではありませんでした。そのせいかどうかは定かではありませんが、1人目の子供も死産で亡くし、本当につらい経験をしました。私が丈夫でなかったばっかりに・・・と何度も自分をせめました・・・ですがその後元気な子供を2人授かり、今、現在、長男は24歳、次男は19歳とても元気で優しい2人の息子・・・・私の宝となりました。
今回のガン闘病もこの2人の息子がいてくれて支えてくれたからこそ私自身母親として強い姿勢を息子達に見せる事が出来たと同時に乗り越えられた。そんな気がします。もちろん息子達だけでなく私の周囲の方々に多大なる心配とエールをいただき病気になって改めて色々な方々に感謝の気持ちでいっぱいになりました。その感謝に応えるためにも元気になる!!そう強く心に決めました。その中にはカーブスのコーチやメンバーさん達もたくさんいました。
今までの人生・・・・・不思議と手術室に入る前ドラマのように自分の今までの人生が蘇って思い出されました。体が弱かったこと、子供を死産した時のこと、長男、次男の出産の時のこと、子育てのこと・・・若くして結婚した私達夫婦、主人のこと、生活も苦しく、7年間子育てしながら雨の日も風の日も早朝新聞配達、その後もずっとパートで働きながら、めまいの病気やパニック障害などで苦しんだ時期もありました。イライラして子供を必要以上に叱っては後悔する日々・・・でも私なりに精一杯死産した子の分までと・・・2人の息子達も育てました。その気持ちが強すぎて自分を負い込んでいたのかもしれませんが・・・・
主人も子供達も全てわかってくれていたかのように優しくあたたかい家庭の中で私は今まで生きてこられたとその時、痛感しました。
三年前には最愛の父を亡くしました。67歳の若さでこの世を去った父・・・・元気だったのに突然、脳梗塞で倒れ一人暮らしだった父は3日間誰にも発見されず、仕事を無断欠勤していたことに不思議を感じた同僚に発見された時は最悪の状態でした。命は助かったものの後遺症がひどく言葉も一切喋れなくなり、飲食も一切できず栄養剤のみ、右半身まひで寝たきり・・・・そんな最悪な状態のまま2年間つらい闘病生活でした。
子供の頃からお父さんっ子だった私、その2年間はそばで父に寄り添いながら、本当に・・・・・本当につらく悲しい経験をたくさんしました。体の弱かった私を気力だけが支えていました。仕事、子育て、父の介護、自分も限界でしたが、その時も気づけばたくさんの人に支えられ、助けていただきました。今思えばその2年は父と私の最期の親子の貴重な時間、お父さんっ子だった私に父が残してくれた最愛の時間だったかもしれません。父とたくさん触れ合いたくさんの事を学びました。その時学んだ事の1つが筋肉の大切さでした。2年間寝たきりになった父の体はみるみる筋肉が落ち栄養剤だけだったせいもあり、骨の上に皮がついていると言うくらいガリガリになって行き体力も落ち、息を引き取りました。
体重は元気な頃の半分くらいになっていました。父が亡くなった後、気が抜けたのが原因か私の体調も悪く、気持ち的にも落ち込み、そんな時ふと目に止まったのがカーブスの看板でした。それからカーブスに入会し少しずつ元気を取りもどして行く事ができました。そして昨年、春には長男が結婚、かわいいお嫁さんが来てくれました。そして次男も学校を卒業し社会人、私の子育ても一段落した2カ月後・・・・乳ガン発覚!!でした。
そんな色々な事を思い出しながら手術室に入った私、手術室の外には最愛の私の家族や親せき、母の見守る中、手術が始まりました・・・・手術室に入ってから5時間近く、家族は祈りながら涙しながら待っていてくれたようです。亡くなった父も姿は見えなくてもそこにいてくれたことと思います。そんな祈りが通じたのか手術は無事終了。おかげさまで術後の経過もとても良く、一週間で退院、1カ月後には仕事やカーブスにも復帰できるくらい元気でした。その翌月には大好きなアーティストのライブに息子達とお嫁さんといっしょに2度も行く事ができて、まあ、それが元気の源にもなりましたが・・・・周囲の方々みんなに本当にガン??だったの??と驚かれる程の回復です。
ホルモン治療は5年間必要なので治療は続いておりますが、本当に元気で以前体が弱かった頃より今の方が顔色も良く体調も良く、日々過ごせております・・・・今まで色々な事があったからこその今がある。人に感謝することもできる。家族のありがたみを感じる事ができる。健康の大切さをつくづく感じる。そのために筋トレも必要だと感じる、運動をして体力があったからこそ大病してもこんなに元気でいられる。そして何より待っていてくれた家族、仲間、友達、人に優しくしてもらった分、人に優しくなれる。
無我夢中で生きていた頃は自分自身が精一杯で周囲が見えない時期も反省することもたくさんあります。
それでも私はそんな反省もしながらまだまだこれからの人生をもっともっと楽しみたいです。あたたかい家族の中でお嫁さんともとっても仲良し、息子しかいなかったわが家に花が咲いたように一段と明るくなりました。私の入院中も嫁に来たばかりの彼女が家事を本当にがんばってくれました。これからは孫も近い将来出来る事でしょう。
孫の顔も見たい。息子の成長もまだまだ見届けたい。主人との夫婦の時間も楽しみたい。母にも父にしてあげたようにこれからたくさん親孝行したい。
大好きなアーティストのライブにもたくさん行きたい!!こんなにやりたい事、楽しみな事、たくさんあるのにガンに負けるわけには行きません。これからもカーブスに通い、筋トレしながら体力をつけて元気でがんばりたいと思います!!
それが・・・・・
私がカーブスを続ける理由です。
佳作
「素晴らしい人生を送るために・・・・」
カーブスって
どんな運動?