今日もカーブスの扉を開けると、コーチの「〇〇さん、こんにちは」という元気な声がとんでくる。見回すとメンバーさん達のにこやかな顔も見える。ああ、今日も大好きなコーチとメンバーさん達に会えた、とうれしくなり、私は手を振って答える。カーブスに一歩はいっただけで気分が若やぎ、今日もガンバローと前向きな思いになるから不思議である。それに私にはどうしても気持ちを若く、持ち続けなければならない理由がある。更に肉体も容貌も実年令より少しでも若くなりたいと欲張った願いもあり、そのためにもカーブスは止められないなと思っている。
いつか、友人達とおしゃべりしていて、どういういきさつからか、それぞれの夫の話にうつっていった時のことである。「夫のこと、思うだけでドキドキするの。そのたびに何ていい男なんだろうって思うの」私が言うと、友人達はこぞって悲鳴のような声を上げて叫んだものである。「えーっ?その年で?」
「あり得なーい、その顔で?」などと。「失礼な!これでも気分だけはいつでも18才のつもりなのよ」と言ってはみたものの、やはり年令は着実に重ねてきたし、鏡を見るたびに「あなたは誰?」と聞いてみたくもなる時がふえた。それでもやっぱり私は夫が世界で一番好き。いつでも夫のそばにいたい。一緒に行動したいと思いつづけて早や40年になんなんとしている。
最初の結婚を三ヶ月で解消し、八年間を一人で生きてきた32才の時のことである。両親と私との三人が居間に揃ったある日、父が言った。「お前さんも今後ずっと一人で生きていくことになるのかも知れないなあ。今のうちから金を貯めて、しっかり生活設計しておけよ」と。「大丈夫よ、お父さん。私、立派な小説書いてそのうちに売り出すから。そうしてさっそうと生きていくんだから」と答え、「ね、お母さん?」と母を振り向くと、人前で涙を見せたことのなかった母が泣いているのである。娘が一人で生きていくのかも知れないと想像するだけで、母親というものはこんなにも悲しむものなのか。大いにうろたえた私は即座に決意したのである。「再婚しよう。誰でもいい、たった一人でいいから、私に『結婚しよう』と言ってくれる人があらわれたなら、その人と再婚しよう」
私が決意すると同時に動き出したのが、会社で隣の席にすわっていた彼である。彼は何と私より12才年下の、まだ幼ささえ感じられる少年であった。「今度の休み、ドライブしない?」と言う。どうせ暇だからと尾いていったのが始まりであった。
彼とはじめてドライブしたその日はちょうど秋の彼岸の中日であった。助手席に座って辺り一面に咲き乱れる彼岸花をじっと眺めているだけであったが、ふんわりと温かい空気の中をゆらゆらと安心し切って漂っているような気分であった。それまでの私の恋愛経験といったら、あっちにもこっちにも彼女がいるというプレーボーイが相手だったり、傍にいるといつでも気を使って休まらないという気難しい男性であったりして、恋愛も結婚もどうでもいいやと、半ば投げやりになっていた時でもある。優しい気持ちでいられるこの時が永遠につづいたら良いのに。ひそかに思っていると、運転席の彼が言った。「ずうっと一緒にいたいね」と。後日、彼が言った。「あの時、あなたと結婚しようと心に決めていたから、ドライブに誘ったんだよ」と。
早速、家族に喜んでもらおうと、意気揚々、彼を連れて帰ってみると、あにはからんやである。父は「こんな小僧っ子を連れて来やがって」とどなったあげく、それ以後ずっと彼と私を無視し、ソッポを向いたまま一言も言葉をかけてくれなくなったのである。母もそこまでの態度は取らなかったものの、いつでも反対するばかりであった。あげくに彼に向って言ったものである。「あなたはお母様を早く亡くされているという話だけれど、私の娘を女性としてではなく、お母様のかわりのような思いで眺めていて、好きだと勘ちがいしているんじゃないんですか?」途端に蒼白になった彼が声を振り絞るようにして「決してそんなことはないです」と答えたものの、私は彼に申し訳なくて震え出したほどである。
私達の決意が揺らがないとわかって、彼のお父さんも私の両親も条件つきでしぶしぶ結婚を許してくれたが、その条件とはこうである。彼のお父さんからは「絶対に離婚しないこと。離婚の話など持って来たら、二人共バットで叩き出してやる」又、私の両親からは「彼が壮年男性に成長した時、必ず若い女性を見つけてあなたから去ってゆく時がくる。その時、あなたは涙ひとつ流さずに、笑って彼を送り出してやれる覚悟があるのなら、とりあえず結婚してみなさい」であった。
ではどうしたら良いのか。両家が正反対のことを要求しているように思えて困惑したものの、よくよく考えてみれば、二人がずっと仲良く結婚生活をつづけていたら何ということはないじゃないの、という結論に達し、はじめてドライブした半年後に私達は結婚した。
「あの夫婦、今に離婚するから見ていてごらん」などという世間の声も時には聞えて来たり、まれにはドタバタもあったりしたものの、案外平穏に日々を送って来た気がする。子供も男女一人ずつ生まれ、世間並育った。娘の方には孫が三人も生まれた。今は用事ある毎に娘から呼び出され、孫守にあたふたしている。
彼は今も現役で働きながら、色々なスポーツを楽しんでいる。スポーツの無い日はジムに寄って汗を流して帰ってくる。休みの日には、私を美術館めぐり、花見、スポーツ観戦、ドライブ、山歩き、ランチなどに連れて行ってくれる。彼も内心、私に若く、あって欲しいと思っているからか、何をおいても「カーブスに行っておいで」と言ってくれている。離婚だけは決してできない状況の私は、「気分はいつでも18才」と自分を鼓舞しながら、カーブスで筋トレに励む毎日である。やっぱりカーブスだけは止められない。ずっとずっとつづけようと心に決めている昨今である。
佳作
「カーブスは私の元気の源」
カーブスって
どんな運動?