小学1年生になった娘の、初めての夏休み。午前7時前でもジリジリと太陽が照りつける中、二人して自転車で近くの公園へ向かいます。軽快な音楽とともにラジオ体操が始まります。その後朝ごはんを食べたら、娘を託児所へ送り、自分は昼過ぎまで仕事。再び娘を迎えに行き、その後は公園へ行ったり娘の習い事に付き合ったりと、そんな毎日が続きました。
8月も後半になると、心身ともにクタクタで「私、こんなに疲れやすかったっけ?」「いやいや、今年の暑さは異常だから」などと自分を慰めたり、でも疲れは溜まる一方でした。
そんな時、カーブスの折り込みチラシが目に留まり、自宅から車で10分くらいの場所にあるカーブスを意識し始めました。
「そーいえば、年上の知人がカーブスやってるって聞いてたなあ」善は急げで、すぐに電話をかけました。無料体験に行ってみたいと伝えると、優しい女性の声。これなら行けそう、と直感しました。
数日後、ドキドキしながらカーブスへ向かいました。中に入るとアップテンポの曲が流れ、色とりどりのポスターが貼ってあります。
よくよくポスターを見ると「継続は力なり」「貯筋することが大切」などと書いてあります。お祭りみたい、という印象を受けました。
そして若くて可愛い女性コーチが、マシンの使い方を丁寧に教えてくれました。実際にマシンを動かしてみると、思ったよりもきつい感じはなく、本当にこれで筋肉が付くのかしら、と半信半疑でした。でも、その後コーチから筋肉は30歳台から衰えていくことや、適度な運動を続けていくことで、これからも元気に過ごせる、という説明をしていただき、自分は娘ともっともっと一緒に遊びたい!アクティブに遊びたい!という希望がムクムクと湧いてきて、その場で入会を決めました。
40歳を過ぎてから、それまでとは何となく違う自分の体に違和感を覚えつつも、何をすればいいのか、どうすればいいのか、と悶々としていました。娘の習い事となると、何を習わせたらいいのかしら、と真剣に悩むものですが、自分のこととなると、まるで無頓着の私がいました。それが、カーブスという習い事に出会えたのです。
最初は、予約をしてマシンの使い方をコーチから教わりました。言われた通りにやっていたつもりでしたが、数回やった後に、右腕に激しい痛みが現れました。文字を書くこともできない程の痛みで、不安になり整形外科を受診しました。急激に運動をしたせいでしょうか。幸い神経に問題はない、との事でしたが、痛みがある間は運動を控えるように言われたので、しばらくカーブスはお休みすることになりました。そうなると、やる気いっぱいの私でしたが、続けられるのか心配になってきました。私に合っていないのかも、という気持ちすら湧いてきました。鎮痛剤を飲み、湿布を貼る日々が2週間ほど続いた頃、コーチから電話がかかってきました。
「痛みの具合はいかがですか」「できる事からでも始めませんか」と言われ、痛みが和らいだのをきっかけに、再びカーブスに行きました。右腕を使うマシンは、エアワークにして、下半身を使うマシンを中心に体を動かしました。心配していた右腕の痛みがひどくなることはありませんでした。これから、また通えるかも。じわじわとうれしい気持ちが湧いてきました。
それから半年。週1~2回カーブスに通う私がいます。
カーブスに出会うまでの私は、仕事が終わって娘を待っているまでの時間は、テレビを観てのんびり過ごしたり、仕事で落ちこむことがあっても、それをうまく解消できずにお菓子を食べたり、という生活だったのですが、今ではカーブスに行ける時間があると「今日は行ける!」と気持ちの切り替えができるようになりました。
ワークをしてる時間は、私の時間です。体を動かす事で、心のモヤモヤも軽くなり、終わった頃には心地よい達成感があります。
私の名前を呼んでくれ、「こんにちは。今日も頑張って来れましたね」と言ってくれるコーチ達にも癒されています。
歳を重ねると、名前で呼ばれることも褒められることも減ってきます。ささいなことでも褒めて伸ばしてくれるコーチ達がいるから通えています。
夫と娘も応援してくれています。娘は「ママ、今日もカーブス行ったのー」とふざけて言ってきますが、「だって、私はあなたと山にだって登りたいし、遊園地だって行きたいし、元気でいたいもん」と答えます。
今年の3月には、岐阜城に娘と登りました。下山した時は、足がガクガクでしたが、不思議と翌日は元に戻っていました。これもカーブスのおかげかしら、などとほくそ笑んでいます。
これからも、マイペースでカーブスに通いたいです。習い事は?と聞かれたら、「カーブスです」と自信を持って答えます。
佳作
「カーブス!それは私の習い事。」
カーブスって
どんな運動?