「ちーちゃん、今日もお母さんを連れてきてくれてありがとね。」
 そんなことを言われながら私は娘と週三回のカーブス通いをしている。正直、「冗談じゃない、車を運転して、連れてきているのは私の方よ!」と思っている。でも娘が入会する前は、今日は雨降り、今日はPTAの用事、今日はちょっとだるいな・・・と言ってはしばしば休んでいた私。長期休暇も珍しくなかった私。それをよくよく知っているコーチの口からでるセリフに反論の余地はない。

 うちの娘、ちーちゃんは知的に遅れのある二十歳のお嬢さんである。まさか一緒にカーブスで筋トレする日が来ようとは夢にも思っていなかった。

 2017年秋のカーブスマガジンに、書家の金澤翔子さんのインタビューが掲載されていた。ダウン症だけどしっかり自立して独り暮らしをされている。その日常生活を整えるべく、カーブスに通っているという内容だった。びっくりしたし、すごいなあ、と思った。うちの娘もこんなふうに自立出来たら、と思った。そして何となくこの気持ちをコーチに伝えたくなった。「マガジンで翔子さんのこと読みました。ホントすごいですね。」そしたらコーチが言った。「一度、娘さんを体験に連れてきてごらんよ」と。想定外の言葉にびっくりして聞き返した。「え?でも知的に遅れのある子ですよ!?」
 今となっては、私はひどい母親だと思う。彼女の可能性を頭から否定していたのだから。コーチの言う通り、一度連れてきて、やってみなけりゃわからない。本人がどう思うのか、聞いてみなけりゃわからない。コーチだってどう判断するかわからない。こっちが勝手に判断しちゃいけない。だけどうまくいかないことも考えて冷静にいようと思った。連れてくるまでの間、コーチもドキドキしていたのかもしれない。私も娘もドキドキしていた。
 体験の当日、娘はいつものように恥ずかしがり屋の一面を見せつつも、嬉しそうにちょっとだけコーチと話をした。言葉は多く発しないけれど、私の方を見てニコニコしていた。私やコーチをお手本にマシンもストレッチもやってみた。運動は得意でないけれど、どれも嫌がることなくこなしていた。
 そして、コーチの「ちづるさん、お母さんと一緒にカーブス来る?」の問いに、娘はいとも簡単に「うん!」と返事。え?ほんとに?そんなこと言って大丈夫?コーチにもメンバーさんにもご迷惑かからない?それより何より、私のリフレッシュタイムがなくなる?と、私の方が混乱した。その時にコーチがどんなふうに言ってくれたかは覚えていないけど、何だかいい感じに話が進んで、あっという間に入会することになってしまった。

 特別支援学校を卒業後、就労継続支援の事業所でお菓子作りをしている娘は、夕方4時過ぎに帰宅する。一息ついて、二人で車でいざ出発。これを週三日続けることになっていった。確かに、仕事から帰って何となくダラダラと過ごしていた娘のアフターファイブは筋トレという活動に変わり、体も引き締まってきた。ゆるゆるとした使い方のマシンでも、継続すればやっぱり効果は出るものだと思った。また、娘自身が少しずつ社交性の芽を伸ばし始めた。まだまだ恥ずかしがり屋で私の顔を見てしまうことが多いけど、皆さんに声をかけてもらうのが嬉しくて、毎朝「お母さん、今日もカーブス行こうね!」と言って仕事に出かけていく。ワークアウトの後、必ず次の来店予定をコーチに宣言してから帰っていく。皆さんにたくさんお世話になっている。でも、娘は皆さんのことを完全に仲間だと感じている。なんとも有り難いことである。
 一方、以前は娘に対してイラっとすることが多かった私も、メンバーさんやコーチの前でよそゆき顔(?)を見せなくてはいけなくなり、いつの間にかその顔が日常になってきた。とばっちりを受けていた娘にとっては嬉しい限りだと思う。また、来店回数が飛躍的に増えた私は、当然のようにマシンの成果は出るし、顔見知りは増えるし、娘と一緒にいるおかげでメンバーさんに話しかけられることも多くなった。私も皆さんのことを仲間だと強く思うようになった。
 ああ、ここまで来たら、娘にとっても私にとってもカーブスは生活の一部であり、支えである。あの時、思い切ってコーチに話してよかった。あの時、コーチに背中を押してもらってよかった。あの時、娘を連れてきてよかった。
私も娘のためにもっともっと健康で長く生きたいと思う。一緒に通い続けたいと思う。

 しかしである。ほどなくして、私が用事で行けない土曜日に娘が一人で路面電車に乗って行けるようになってしまった。すごいことだとみんなが大喜びしている。でも、これはマズイ!やっぱりコーチの言う通りなのである。
「ちーちゃん、今日もお母さんを連れてきてくれてありがとね。」