今年七十三才になります。年令のせいか?近頃、少し足腰が痛むので、私なりに考えて骨をささえる筋肉が弱っているのかなーと思い、筋力を鍛える為にカーブス土山店へ、平成二十七年八月二十四日に入会しました。少しでも痛みがとれる様にと願って通いました。ところが、だんだんと痛みが強くなってきて、自転車で十五分、通っていたのですが、とうとう自転車さえも、こげなくなってしまいました。続けられなくなって、残念だけどやめるしかないと思い、その事を土山店のコーチに、「しばらく退会します。」と伝えました。すると、Hコーチは、「ドクターストップができます」と言われて、私は、とても安心しました。痛みがとれたら、まだまだ続けたいと思っていたので、「そんなチャンスがあるなら」と、嬉しくなって、さっそく手続きをお願いしました。医療センターへ行って、レントゲン、MRIと検査した結果、骨柱の中に膿疱があって、背骨の中の神経を圧迫するので痛みがあることがわかりました。それでも私は、病い病を軽く考えていて、薬を飲めば痛みは消えると考えていたのですが次々と痛みが襲うのに堪えられなくなり、先生は、手術を勧めてくれました。この痛みがとれるなら「手術をして下さい」と、お願いしました。けれど、先生は「手術して痛みはとれても、片足が動かなくなる可能性も、あります」と、おっしゃいました。その時、はじめて、自分の身体の重大性を認識しました。片足動かない自分を想像して「嫌だ!嫌だ」と身ぶるいしました。以前から、友人に勧められていた病院へかわる決心をして、そちらへ、行く事にしました。JRに乗って三十分かかりますが、遠いより確実になおす目的で、家族にもめんどうをかけるけど、我ままを通しました。ところが、すぐに手術とは、いきません。まず、痛みの神経を遮断する薬で痛みを止められるか?試されて、一カ月痛みは消えず、次はブロック注射で一カ月、痛みは日に日に増すばかり、とうとう寝たきり状態になってしまいました。食事も寝たままです。主人も家事全般、がんばってくれていたのですが、ある日、とうとう痛くて、うめき、主人もどうして良いかわからず、救急車を頼みました。激しい痛みで救急隊の方が部屋に入ってきたのも知らず、うめいていました。救急の人もサイレンをならし続けて高速を走り三十分病院へ運んでくれました。病院ではブロック注射をとりあえずしてくれて、一時的には痛みもおさまったのですが、先生もさすがに手術することを決断して、手術の患者さんの大多数の間に組み入れてくれました。平成二十七年十月二十二日手術で、膿疱を取りのぞき、背骨をささえる為ボルトを四本入れました。手術後、日にち薬と思いひたすら、リハビリをして、これが終ったら絶対カーブスへ行こうと強く心に決めました。十一月、十二月とひたすら、リハビリを続け、少しずつ身体も楽になって動けるようになりました。平成二十八年一月二十二日、丁度、手術から四カ月。そろそろカーブスへ行って身体全体の弱った筋肉をよみがえらそうと、思って、またカーブスへ通い出しました。初めは、ゆっくり。出来るマシーンだけを使い特に足腰には、しっかりと力をつけて、そのうち、肩やウエストにも力が入ってきて、全部のマシーンを使えるようになりました。嬉しくて喜々として通って、大病のおかげで家族、人とのつながり、今まで以上の深い感謝と、毎日何気なくすごせる喜びで幸せを、感じています。カーブスのお陰で健康体を取り戻し、ドクターストップのあるシステムの安心感をもって、これからもカーブスへ通い続けます。身近にカーブスがあって本当によかったので友人にも紹介して一緒にはげんでいます。これが私がカーブスを続ける理由です。
佳作
「大病を体験した後カーブスで体力維持してます」
カーブスって
どんな運動?