私は38歳の時に東京で仕事中に脳出血で倒れ現在に至っています。当時は遠く離れた福岡の両親に会社から連絡が入り病院に到着した両親に主治医より伝えられた言葉は4つ。
手術しても①助かりません②植物人間状態③一生車椅子の生活④左半身の麻痺が残るという事でした。私は奇跡的に助かり④でした。このエッセイも右手で書いています。今まで普通に使っていた頼りにしていた左の足と手が急に動かない使えなくなる現実を突き付けられた瞬間は今でも覚えています。また病気発症により体重も15キロ増えました。走れたら歩けたらダイエットにも挑戦したでしょう。でも今の私の体では出来ません、動きません。歯がゆいです。悲しいです。でも少しでも神経が動いて体が動くといいなあ、大好きな料理が又、作れたらいいなあ、と思うばかり、夢ばかり見ていた私に病気発症八年目に一つの光、希望が叔母のお店で出会った、カーブスに通っているお客様より「カーブスだったら出来るんじゃない?体も動くようになるんじゃない?無料体験しているから行ってみたら?イオン大野城の二階よ」の一言で自分の体が少しでも快方に向かうかもしれないと思い翌日、「こんな私が来たらカーブスの方も驚くだろうな迷惑だろうな」と思いながら「あのー体験とか出来ますか?」とイオン大野城店のドアを開けました。入口付近には沢山のメンバーさんが出たり入ったりしている中、私の姿を見つけてくれました。「こんにちは!よくいらっしゃいました!体験でしょうか?」と元気な声と笑顔の店長らしき人。それはSコーチでした。勇気を持って身を任せ無料体験を受け即日入会しました。入会の決め手となったのは①私の様な身障者でも時間を限定して他の身障者のメンバーさんとカーブスで体力作りが出来る事、体を動かせる場所がある事②「大丈夫ですよ、一緒に頑張りましょ!」の、この一言でした。病気をしてからというもの「頑張ってね」「大丈夫よ」の声は、沢山かけてもらいましたが「一緒に」の、たった三文字。これは、なかなか健常者の方が身障者には言えないと思いますがSコーチは私にあの日あの時あの場所で私に、そう言ってくれたのだと今でも思っています。それから出来るだけ行ける時はカーブスに通いました。他の身障者の方が
「私たち身障者が時間限定でカーブスをさせてもらえるのは、あるコーチのお陰なんですよ」、と聞きました。ある?コーチ誰だろう?イオン大野城店には5人のコーチがいます。カーブスに行く度に私を楽しませてくれます。やってみよう!という気持ちにさせてくれます。諦めない心を持たせてくれます。Sコーチは出会った時から変わらず「今日も頑張ってきました!一緒に頑張りましょう!」と元気と笑顔と共に気遣いが素晴らしく、Kコーチは、また次もカーブスで待ってますよ、困った事があったら何でも聞いて下さいオーラが接していて伝わります。Mコーチは麻痺側の左手でマシンを持てなくて私は、ま、いっか右手だけですれば、と思った時も多々ありますが決して見逃さず「和子さん、諦めないで、左手も掴みましょう。」と言ってくれます。私に気づかせてくれます。Kコーチは次のマシンまで移動する際に使っている杖を置いてくれます。マシンからマシンに移動する際に意外と邪魔になる杖を私に分からない様に動かしてくれます。一番のお気に入りは「このマシンは、どこの筋肉を鍛えますか?鍛えるでしょう?腹圧つかってますか?」と必ず言われます。Kコーチは、いつも笑顔、こっちまで元気になります。私は、この五人のコーチに恵まれてカーブスを楽しめています。必ず体が動くようになると思います。ある時この素晴らしいコーチ達の、その上のコーチは誰だろう?と思った事がありました。身障者のメンバーさんが教えてくれました。それが、ずっと逢いたかったYコーチでした。現在、どこかに出張中と貼紙に書いてあったので、なかなか会えないのだと諦めていた時、偶然に3月の測定の日3月1日に、やっと!逢えました。想像以上のコーチでした。後ろに目がありますか?とばかりに気遣いと思いやりが笑顔に、出ていたYコーチコーチでした。さすが!五人のコーチの上に当たるコーチでした。だから五人のコーチ個々の一人一人が素晴らしく輝いている、こんな私と、ちゃんと向き合ってくれている支えてくれていると分かりました。身障者限定の時間を、いつも時間超過してカーブスをさせて頂いている事に心から感謝しています。ありがとうございます。今回、初めてカーブスエッセイの存在を知り、この場を通じ現場のコーチ達へ私の思いを伝えたく私がカーブスを続ける理由を報告させて戴きます。いつもありがとうございます。今後とも最近入会した82歳の叔母と共に宜しくお願い致します。
佳作
「やっと逢えた!コーチ」
カーブスって
どんな運動?