(副題)私の体力管理の失敗は、無知と油断と怠慢が原因。少しでもカーブスで挽回するしかない。
たとえば、「今日午後は町会の集りがあるから、カーブスは午前中に行かなくちゃ」という日は、起きるときの勢いが違う。但し、楽しいから、というよりも、もっと切実な理由がある。
入会のきっかけは、同窓の友人がすすめてくれて申込んだのが、77才の頃、整骨院からの帰路、家がだんだん遠くに感じるようになって、途中で休むようになって、腰部背柱管狭窄症と診断されたところだった。
はじめは、WOで「左右の腕の上下動(バイセップトライセップ)をすると、前腕に青あざができた。床のストレッチのとき、2人連れの方に「力がなくて」というと「力つきますよ。1年もやればわかりますよ」と口々に励ましてくれた。めげずに、とにかくやってみよう、と三輪車で通った。3年目の去年はWO500回のTシャツを頂いて、5Kのお米がラクに持ち運べるようになり、床で腕立て伏せをやってみたら、浅い乍ら5、6回できて、ボードで足踏みしていた廻りの方に、思いがけず拍手をもらったりした。今体力年令は71才。
なんで、もっと早くこういうのに気がつかなかったんだろう。いや、59才のとき、水泳の教室に入り乍ら、東京勤めで5時退庁ができず、結局5年も会費だけ払ったこともあった。明日は行こう、と思い乍らだったから、やむを得ずだったが、仕事より体力管理を優先すべきだった、と痛恨の思いで思い出す歌がある。「若者よ、体を鍛えておけ。美しい心がたくましい体に辛くも支えられる日がいつかは来る。その日のために、体を鍛えておけ。若者よ」という、昭和に流行した「歌声喫茶」の歌の中で愛唱歌だった。今81才の老人になってみると、「美しい心」どころではない。
腰は、それほど痛くはないが、上体がまっすぐ立てない。立ったまま両手を使うことができないから、左手はいつも何かにつかまる。カーテンのあけしめ、衣類をハンガーにかけて、しまうとき、下すとき、食器を戸棚にしまうときも左手は戸棚につかまるから、お皿は大小上下めちゃくちゃ。食器洗いも、左手は流しのふちにかけて右手だけで洗う。友達も、「そうよ、茶しぶなんかそのままよ」という。
病院の看護婦さんも「そうですよ。だから、みんな、ここ左手首にマメができるんですよ」と当り前の顔でいう。貧困によらないエンゲル系数の上昇の原因の一つは、高令者が増えて、調理したものを買うからだ、というのもよくわかる。朝の、お仏壇のお茶、お線香供えが大事業だもの。
そういう中でも、去年の秋、交通事故にあって、20日入院したとき、警察の人が9m位とばされたんですよ、といった割には、退院の翌日、カーブスのWO30分を入院前と同じくやって、コーチに「信じられない。」と言われたし、「カーブスやってたから、それくらいですんだんじゃないの」と何人もに言われた。自分でもそう思う。
もう一つ、体力のころで失敗したと思うのは母の老いを尺度にしていたことだ。母は95才でパンストを立ってはいたし、1kmくらいの病院は歩いて行っていた。母はリレーの選手で、村の運動会では花形だったと聞いていたが、それを自分の老い先のイメージと重ねていたことだ。一昨年102才で亡くなってから気付いても遅かった。
今、カーブスをすすめてくれた友人も、「カーブス行かないと歩けなくなっちゃた」というし、私もカーブスの休みが続くと足元があぶないからお天気のいい日はまずカーブス。カーブスはやめない方がいいよ、とまわりが言ってくれて、雨の日は家人が車で送ってくれる。台所に椅子を二つ置きながらも、1ヶ月でも長く、自分で秒動できるよう、今日もカーブス。