私は、十三年前六十五才の時、脳梗塞になり、三ヶ月入院その后通院でリハビリを続け、一年程でとりあえず生活出来る位に回復し、リハビリも終了しましたが 右手に違和感があり、不安な気持で生活していました。
そんな時、カーブスの広告に出合い、ためしに訪れてみました。担当者の親切な対応に加え、リハビリのマシンを使っていると云う 説明を聞き、促入会を決めました。平成十九年三月一日、その時の私は右手が不自由でしたので、入会申し込み書を、書く事が出来ず、コーチに書いて頂きました。入会后 二年の間に三度もころび その都度 大径我で長く休んでいました。コーチの皆さんの、暖かいはげましを頂きながら、筋トレを続ける事が出来ました。そうこうしているうちになんと、つまずいてもオットットとこらえころばなくなったのです。筋トレのおかげです。それに加え、書けなかった字が書けるようになったのです。おどろきとよろこびで一パイです。それからもう一つ、汗をかかなかった私が、人並に汗をかくようになりました。友達も増え、楽しくカーブスに通って居ます。たまにめんどうくさくなり休もうかと思う時もありますが、行ってみれば 楽しく、来てよかったと思います。娘には、「寝たきりになると困るから、絶対辞めてはダメ」と、きびしく云われて居ます。
こんな風に楽しみながら、カーブス通いを、続けて居りましたが、三年前 透析を続けていた夫が、悪化して左足を切断、車椅子生活になってしまいました。車椅子で通院する夫に、付き添い、介護が必要となり、私の生活は、一変しました。合間をみつけてカーブスに、通う事が、私にとって唯一の癒しでした。
コーチや多くの仲間に励まされ、めげる事なく、夫が少しでも快適にすごし、幸せな余生を送れるよう心をくだき介護の日々をすごした三年間でした。一月十日夫は亡くなりました。精一パイ、お世話出来た私は、悲しいけど、悔いなく夫の死を受けとめる事が出来ました。何があっても、めげない自分をつくる。それがカーブスだと思いました。
これからも、筋トレがんばりながら、自分づくりをしてゆきたいと思います。
そして、多くの人に筋トレの大切さを伝えて行きます。
佳作
「カーブスと私」
カーブスって
どんな運動?