カーブスに通い始めて、今年の四月で丸四年が過ぎ、五年目に入った。
この「カーブスエッセイ大賞」には昨年も応募させていただいたが、文章を綴る事が好きなので、今年も書いてみようと思った。何より昨年の春に忘れられない出来事が起こったので...
一昨年の年末十二月に、突然父から母の入院を知らされた。夜中にトイレに行く時に体のバランスを崩して倒れ、骨折したとの事。すぐに神戸の実家近くの病院へ駆けつけたが思ったよりも元気そうに見えた。しかし、主治医から父と一緒に受けた説明によれば、容態が急変すれば命を落としかねないとの事だった。ショックだったが、何とか気持ちを切り替えて帰宅の途についた。
しばらくは明石の自宅から神戸の病院へと週何回かのペースで通う日々が続いた。その合い間を縫ってカーブスで気分転換をしていたがある日、ふとした事である会員さんと話す機会があり、母の入院の事を告げたところ近くにいた他の会員さん達も親身に心配してくれた。正直、そんなにじっくり話したりした事のない方ばかりだったのでびっくりしたけれど、本当に嬉しかったのを昨日のようによく覚えている。「カーブスは、特にこの土山店は皆さん優しくて、暖かい人が多い」と心底思った瞬間だった。
カーブスはもちろん筋トレをする所、でも色んな人に出会えて、目には見えない素敵なものを、たくさん受け取れる所でもある。私がカーブスを続ける理由はまさにそこだ。
母の話に戻るが、一進一退の状態が続き、私が見舞いに行っても辛そうにしている時もあって、心が痛んだ。
そして五月二日の夕方、一本の電話が鳴り母の容態が急変したと告げられた。父と共に搬送された別の病院へ着いた時には母は危篤だった。もう父や私の顔を見ても反応がなかった。翌日の朝早くに母は天国へと旅立ってしまった。九十三才だった。いわゆる長寿だと思うが、もっともっと生きてほしかった。色んな事を相談したかった。孫である私の娘の成長をもっと見届けてほしかった。
お通夜と葬儀を慌ただしく済ませたが、次々と決めなければいけない事があり、哀しみに浸る時間もなかった。
カーブスにもしばらく通えなかったが、日常に落ち着きを取り戻せた頃、少しずつ全てが元の姿に戻りつつあった。前述の母の入院を心配してくれていた、カーブスのメンバーさん達に、母の死を告げた。皆さんから暖かい言葉や励ましをいただいた。
カーブスで体を動かし、お友達とたわいない会話を楽しんでいると、その時間だけでも母の死で受けた辛い思いが薄らいでゆくのがよくわかった。私自身も体調を崩していた。
母の死は確かにショックだし 長い人生の中でも絶対に忘れられない大きな出来事だ。
でも、私が毎日一生懸命に生きる姿をきっと何処かから見ていてくれるんじゃないかなと思う。カーブスで筋トレする姿を見たら、好奇心旺盛な母のことだから、「私にもやらせてほしい」と言うのではないかと思う。
カーブスにもし通えていなかったら、私は母の死を受け止めきれずに、病気になっていたかもしれない。生活の一部になっているからこそ、辛い時も通えるし、少しの時間でも現実逃避できる。
その大好きなカーブスに、今年の春は少し違う側面から関わらせていただいた。
新しくオープンする店舗のオープニングスタッフとしてお仕事させていただいた。お世辞にもあまりお役には立てなかったと思うけれど、さまざまな方に声を掛けさせていただくのは、最初は正直かなり勇気が必要だったが、少しでもカーブスに興味をもって、一度行ってみたい、と思ってもらえるように活動し、自分なりに伝えられたと自負している。
「カーブスを体験してみたい!」と思ってもらい、来ていただくお約束をする事が私達の仕事だった。さまざまなお客様と会話をするのはとても楽しかったし、本当にいい勉強に、そしていい経験にもなっている。少し、お年を召した方に声をかけさせていただいた時は、亡き母の面影を感じて母を思い出す事もある。可愛いらしいおばあちゃんもいて、お話しさせていただく事で逆に私の方が癒されていると感じる時も多々ある。
元来、見知らぬ人、それも不特定多数の人に突然話しかけるなんて、以前の私なら絶対に無理だった。こういうお仕事が少しずつでもできるようになってきたのは、天国から母が力を貸してくれているように思う。
このお仕事をさせていただいた事で、私の「カーブス愛」はますます深まったんじゃないかなと思う。
カーブスに出会えた事に感謝!
佳作
「最愛の母の死を乗り越えて」
カーブスって
どんな運動?