今から3年前体調を崩し、長年続けてきた仕事をやめ家庭にはいった。体調が戻るとこれで良いのだろうかと、社会から取り残されたような気持になり鬱々とした日々を過ごしていた。仕事をやめたらやろうと思っていた、趣味の踊りや、市民大学にも行き、ボランティアも始めた。それなりに色々楽しいけれど、何か物足りない感じがしていた。そんな時町で、偶然元職場の同僚のMさんに会い「今何しているの」と聞いたら、「私今カーブスに行って筋トレやってるの、かっこいいでしょう」と言われた。たしかMさんは、80歳は過ぎていたはず。すごい筋トレしているなんて、Mさんはハツラツとしていた。これがカーブスとの出会いであった。
私は群馬県の生まれで、6歳の時母が他界し、父は母が亡くなってから家に寄り付かなくなり、兄は東京に働きに出て、年の離れた姉が自分の子供と一緒に面倒をみてくれた。一家は、ばらばらの生活になってしまった。その姉も私が中学2年の時入院してしまい、他人の家に預けられ、雑貨屋さんで働きながら中学を卒業した。高校への進学は、店の主人には言えず、いつか自分の力で、高校に行こうと心に決めていた。
20歳から病院で働きながら、准看護師養成所に入学して、22歳で国家試験に合格して准看護師の資格をとった。そもそも私が看護師を目指したのは、早くに母を亡くし、姉の長い闘病生活を見て、人の為に少しでも役に立ちたかったからです。
24歳で結婚して、25歳で長男を出産した。生後3か月の息子を保育所に預けて、仕事を続けた。25年間間務めたK病院を定年退職後は、かねてからの夢であった横浜の高校(通信制)の高校に入学した。通信制は全日制の10分の1の授業回数しかなく、内容は全日制と同じなので、看護学校以来38ぶりの勉強で非常に大変な思いをした。でもそれ以上に楽しい事も一杯あり沢山の友達も出来た。文化祭、野外授業ではキャンプをしたり、生徒会では書記をやり、学校新聞を作った。3年後の卒業式では、勉強奨励賞をいただいた。私のクラスで60名入学したが、卒業出来たのはわずか16名。通信制は全日制と違って、それだけ厳しく、喜びは大きい。最高に充実した楽しい3年間だった。
学校卒業後、二つ目の長年の夢本を、文芸社より出版する事ができた。タイトルは「ちゃちゃん高校生の奮闘記」この時私の家族は、主人、息子夫婦、孫2人、義母の7人は暮らしだった。孫にこう呼ばれていたので、このタイトルをつけた。挿絵は、同級生の18歳のKさんが描いてくれた。自分の半生と、高校卒業までを書いた。全国の書店に並び、あまり本は売れなかったけれど、色々の人から手紙をいただき私が励まされた。本を出版出来た事は最高の幸せだった。
半年後復職し、老人健康施設に勤務し、お年寄りの看護をする。仕事はハードだったけれど、人間関係が良くとても働きやすい職場だった。老健勤務中、高齢だった義母が介護が必要になり、入院の後、歩行も出来なくなり寝たきりになってしまった。最期の3か月間は、オムツを使用する生活だったが「いつもありがとう」と言ってくれ、96歳で天寿を全うした。最高に幸せな人生ではなかったのではと思う。
その後も仕事を続け、仕事と趣味、家事をやり、頻回に眩暈を起こすようになってしまい体力の限界を感じた。8年間務めた老健をやめる決心をして、40年の看護師の仕事に終止符をうった。これまで仕事を続けられたのは、主人や、息子夫婦、家族の支えがあったからと感謝して、これからは、ゆっくりとした時間を過ごそうと考えていた。仕事をやめて、現役を引退する淋しさはあるとは思っていたが、想像以上だった。趣味やボランティアをやっていたが、何か満たされず、運動不足は深刻だった。
そんな時Mさんに出会い、カーブスの雑誌を送ってもらい、筋トレってこんなに素晴らしいんだと、即入会したいと思った。昨年の8月Mさんとカーブスに一緒に行ってもらい、即入会の申し込をする。中は明るい雰囲気で、コーチも感じが良く、その日は半分マシンを体験させてもらって帰る。これから頑張るぞ、と思っていた矢先の事、実は1週間前の朝、突然腰と背中が痛くなり、整形受信をすると、背中の骨がつぶれている、圧迫骨折の疑いがあるので、MRIを撮りましょうと、言われた。薬を飲んだら、痛みも楽になり、古いものなら心配いらないと、言われたので、カーブスに行き始めた。所がMRIの結果、圧迫骨折は新しいものなので、運動は禁止と言われてしまいショックだった。カーブスを体験しただけで、休む事になってしまった。3か月後背中の痛みも良くなり、先生の許可もでたので、11月より楽しみにしていた、カーブスに正式に入会した。前のコーチが待っていてくれ「痛み大丈夫ですか?ゆっくり様子見ながらやりましょうね」と言ってくれて、マシンの半分まで、指導してもらい、5回目でほぼ全部クリアした。週2~3回を目標にした。3か月後初めての体力測定の日、片足スクワット、回数を測るのが、ふらついて1回も出来ず、腹筋は以前眩暈があり、怖くて中止してもらった。何と体力が、81歳と言われてしまった。
仕事をやめて2年、この体力の落ち方に愕然とし、今度こそは、もっと良い結果がでる様にカーブス頑張ると、決心する。カーブスも大分慣れてきて、痛い所もなくカーブスに行くのが楽しくて、うきうきしていた。所が昨年は、色々とあった。6月また背中が痛くなり、整形でレントゲンを撮ってもらい、骨折はないので、筋肉痛なので筋トレOKと言われて、1週間で開始する。9月には、掃除機をかけていて、右足の上に掃除機が落ちて、捻挫をしてしまい、2週間の休み、今年1月には、義兄が亡くなり、色々とあり、2週間休んでしまった。何かあると、カーブスを休むのが、1番辛かった。
カーブスを始めて1年4か月、私の毎日は確実に変わった。生活にめりはりが出来て、充実していた。体の細い私は、時々カーブスを休んでいたが、それでもカーブスによる効果はてきめんだった。骨密度があがり、コレステロールが正常値になった。今年の2月体力測定で、片足スクワット右21、左10回で、すごく良いとコーチに言われた。3月の計測では、体重が増えて、筋肉量がUPして、脂肪が下がり、何と体年齢が「爛子さんすごいよ50歳になった」とコーチに言われた。嬉しくてメンバーさんに言ったら、今日は赤飯だねと一緒に喜んでくれた。こんなすばらしいカーブスを、皆に話した。友達も多いので、今まで、5人の友達や義妹を、紹介する事ができた。1番最初のOさんは、前の病院のOB会で一緒になり、両膝が痛くて、苦労していた。カーブスの話をした。入会して、半年後Oさんに会って、「痛みどう」と聞くと「良いのよ、普通に歩けるようになったのよ」と2人で手を取り合って喜んだ。その後痛みは時々あるようだけど、頑張っている。これからもカーブスの事、多くの人に伝えていきたいと思う。そして心身共に幸せになってほしいから。いつも明るく優しいコーチ、私に声かけしてくれるメンバーさん、これからもよろしくお願いします。
佳作
「カーブスを通して変った私の毎日」
カーブスって
どんな運動?