「これ、お誕生月のプレゼントです」と私に声をかけてくれた天使がいた。以前に本で読んだことがある。人間は生きていくのが辛いと感じることがあり、そういう時に神様は天使を遣わせる。天使は、焼きいも屋さん、駅員さんスーパーのレジの人、宅配の人など様々に姿を変えているので、気づかない人がほとんどだそうだ。天使は辛さを感じている人にそれとなく寄り添い温かく見守ってくれる。
私事であるが、在宅で元気に暮らしていた九十二歳の母が、昨年十一月のはじめに倒れ、たった三日の入院後に亡くなった。葬儀や諸手続きであわただしく日が過ぎる。十一月の末にイオンでの用事があり、ついでに一カ月以上も休んでいたカーブスに行った時のことであった。
「・・・ああ・・・ありがとうございます。今月は誕生月だったのですね。やっと六十五歳になり、年金も入るようになったのですよ」と私が言うと、
「えーっ、もうそんなお年なのですか? とっても若々しくお年には見えないですよ。お元気ですし」と答えてくれた。
「そんなに元気に見えますか?」
「ええ、ええ、とってもお元気そうです」
母を送ってこんなに淋しく、疲れていて辛い時のこの言葉は心に染みる。嬉しかった。カーブスのコーチは、私の天使だった。
カーブスに入会してから五年以上過ぎたが、熱心な会員ではなかった。月に四、五回も通えば良いほう。一、二回や、全く通えなかった月もあった。ただ何となく席を置き続けていたし運動嫌いなのに何故、辞めてしまわないのかと我ながら不思議でもあった。
プレゼントをバッグにしまってマシーンに向かった。コーチは明るく溌剌としていて、周りの人達もいつもどおり一生懸命に運動している。楽しそうで雰囲気も良い。私もすぐに溶け込み一周目を終えた。
(あれっ、何も考えないうちに過ぎてしまった)久し振りに少し気が晴れたようである。
(ああ・・・ このことだったのか)私はつぶやいた。以前、カーブスの体験記を読んだ時に腑に落ちなかったことが、ぼんやりとではあるが理解できてきた。カーブスに対する強い思い、絶対的な信頼についてである。皆、それぞれが何らかの悩みやどうしようもない困難な毎日を過ごしているが、カーブスに通っているうちに立ち直っていく。運動することで身体も精神も元気になる。私も同様だった。
私がカーブスを続ける理由はこれである。私の居場所、マイペースで運動できるカーブスはただのトレーニング場所ではない。私の大切な居場所だ。すでに生活の一部になっている。人は人、自分は自分で居ることのできるところ。私だけではなく、カーブスという居場所があったことで、救われた人は他にもいるに違いない。
私の居場所(棲息域)のカーブス。願わくば、あまり熱心ではないが細く長く続けている私のような会員を、いつまでも受け入れてくれますように。
とりあえず十年を目指し、今は心を新にしている。