私は日本の大阪で生まれ、大阪で育ち、今大阪で生活してカーブスにも通っています。季節は春です。桜が満開で、自分がこの日本に生れて育ち生活し、カーブスにも健康に通えていること、そこで様々な方と知り合えたこと、親しくなれたことを幸せに感じています。
少し前に世界ではフランス、パリでのテロがあり、続いてベルギーでの同時テロがありました。私は普段事務の仕事をしていて、伝票処理にパソコンを使います。パソコンで目にとまった記事なのですが、心に深く深く突きささって涙した事実があります。
『ベルギー同時テロの犠牲者を追悼する集会が行われたブリュッセル中心部の広場で24日、メッセージボードを抱えて無言で訴える女性がいた。オランダ語でボードに書かれた言葉は「私はイスラム教徒ですが、テロリストではありません。私はシリア人ですが、テロリストではありません。」女性はブリュッセルに住む高校生のザキア・ムハンマドさん(20)内線が続くシリアから逃れてきた。北部アレッポで生まれ育ったが、2012年7月、暴力の連鎖が続くなか、母と欧州を目指した。トルコにたどりついたものの母は心臓を患い、歩き続けることが困難になった。「先に一人で行きなさい。安全な場所に速く行って普通に暮らして。」諭すように話す母に促され、当時17歳だったザキアさんは一人で歩を進めた。ブリュッセルに着いたのはシリアを出発してから8ヶ月後だった。母ともう一度暮らしたい。その一心で年下の生徒に交じって勉強し、ベルギーの公用語の一つ、オランダ語を日常生活で使いこなせるまでになった。だが、願いはかなわなかった。ザキアさんの後を追ってトルコからギリシャ、マケドニアへと北上を続けた母は昨年11月、スロベニアで息を引き取った。パリ同時多発テロでは実行犯の一部がシリア難民を偽装し、欧州に入り込んだとされる。また、ブリュッセルの同時テロの実行犯の一人と地元メディアに報じられているナム・ラーシュラウイ容疑者(24)もシリアに渡航歴があった。生死をかけて逃れようとする難民になりすます行為や、祖国で市民を殺害している過激派組織「イスラム国(IS)」に戦闘員として参加した容疑者らが許せなかった。』
私は地図でザキアさんがたどった行程をみて、シリアのアレッポからトルコ、ギリシャ、マケドニア、スロベニアからブリュッセルまで。17歳の少女が8ヶ月もの間での心情を思うと、仕事中にもかかわらず涙があふれてたまらない気持ちになりました。
カーブスのストレッチコーナーでDVDをながして下さって、19歳のクローン病のメンバーさんをささえ励まされ続けたコーチの「ぜったい治してやる。」という言葉。カーブスコーチ自身が離婚して、娘さんを育てながらも10年間メンバーさんに対する笑顔。私の目頭をあつくして温かい気持ちにさせてくれます。
私の通っている若江岩田店では、オープンから「すっごう~い!!」ととびきりの笑顔でほめて励まし応援してくれたIちゃん。『豚もおだてりゃ木に登る』(そんなことわざありましたっけ?)そういう気分でしたよ。ステキなコメントを話してくださるYさん。自分にきびしくてその背中をお手本にしたいOさん。おもしろいクスッと笑わせてくれるCさん。Mさんも好き、Aさんにもあこがれる。Tさん、Fさん、みーんな大好きなんです。
コーチの皆さんはもちろん私よりは年下なんですけれど、その私達一人一人のメンバーに対して接して下さる姿勢には尊敬をも感じます。研修もして学び実践をしての毎日。自分自身の生活もある中で、笑顔で明るく接してくれるコーチ。家での私のモヤモヤもふきとびます。
ここだけの話、本当は息子のお嫁さんになってくれたらいいなあとひそかに思っていたのですが、次々と結婚なさったり、新しい人生を歩かれたり、ステキなお相手がいたりと、私のこっそり期待していることは、かないそうにないのです。
コーチが各々毎日ボードに書いてくれるトピック、その日の話題はワークアウトのボードで読む楽しみのひとつです。コーチの口からでる『格言』?!も心にビンビンひびきます。
ただ単に機械を使って体を鍛えるジムでないカーブスのあったかみは、個性豊かな思いやりのあるコーチの皆さんのおかげだと思います。
私は言葉にだして話すのがちょっと苦手だけど、心の中ではコーチの皆さんをすごくリスペクトしているんですよ。
日本に生れて、大阪で育って、カーブスのコーチ、メンバーさんと知り合えて幸せだなって思います。
そして私の座右の銘はコーチの言葉。
『五年後・十年後の自分のために』
佳作
「コーチの格言・私の座右の銘」
カーブスって
どんな運動?