母の毎日は、今日は何の用事があるから、カーブスには、何時に行こうから始まります。
そんな母がカーブスと出会ったのは、今から7年前、73歳の春のことでした。五人の子供たちもそれぞれ結婚・独立し、父との二人暮らしに疲れ、結婚50年の金婚式を期に主婦を卒業したいと娘に訴えてから一年目の春のことでした。いつもの整形外科に電気をかけに行った帰り道にバス停で~元気ハツラツとした女性から『一枚のチラシ』を受け取りました。カーブスの一週間無料体験チケットでした。日々毎日父と二人の生活から少しでも脱出したいと思っていたので~直ぐに電話をして体験・即刻母は、カーブスに入会しました。
父の仕事は、大工の棟梁で私が子供の頃には見習いの小僧さんが3人住み込みで共に生活し、更に夏や冬には季節労働の出稼ぎの大工さんも数人加わる大所帯でした。母は、五人の子供を抱えながら、大人数の朝食にお弁当に夕食、たくさんの洗濯と忙しく働きづくめの日々を送っていました。母は、身長が143cmと小柄なせいかお産が重く、特に長男は4000kg越えのジャンボBABY~次男は、耳の後から産道に出かかり破水後もなかなか産まれず、救急車で自ら病院に転院、器械でバンバン押しやっと産まれたのですが心臓に穴の空いた全身アザだらけの赤ちゃんでした。三男は、前置胎盤の早産、大量出血の為~母子共に絶対絶命!又、即救急車、帝王切開・輸血~何度もお産で死にそうになり、がんばって子供たちを育て上げ迎えた金婚式でした。長女(56)次女(54)長男(53)次男(47)三男(44)年は離れていますが 仲良し兄弟です。
時代が今とは違い、食事もお風呂も父や職人さんが先でした。お風呂も薪で~洗濯もたらいに洗濯板、料理上手で働き者の母は、いつも笑顔で大家族を切り盛りしてきました。
そんな母の腰痛は、25年前のうま年~4月(二女の3人目)8月(長女の一人目)12月(三男の嫁の一人目)と孫の出産ラッシュ~4月の次女のお産の手伝い時に『腰にグキッ!』と痛めてしまい、歩く姿はアヒルのようにおしりが出っぱり、足の運びもトボトボとやっと歩いていました。その後も長男の二人の孫と三男の孫を預ったりと14人の孫の子育て応援の日々が続き自分のことは後回しにずっと生きてきました。
母は、7年前やっと自分の為に、長年患ってきた腰痛の改善と体重の10kg減量を目標にカーブスに入会しました。母は直ぐに二人の娘に『カーブスに入ったんだ。女性だけの良い所だよ。』と教えてくれました。娘二人は、「フ~~ン?」と頭の上で母の言葉を弾き飛ばし、毎週バイキング三昧の日々を重ねていました。カーブスを始めると母が「計測があるから」「年寄りだから沢山食べる必要がないから」とバイキングに参加しなくなりました。私は妹と二人で立てない程お腹いっぱいに毎日食べ尽くしていました。どんどん太り股関節が亜脱臼し歩くこともできず、バイキングにも行けなくなりました。
母は、カーブスにこつこつと通い、プロテインも生活に取り入れ、テレビの料理番組を見て安くて美味しい健康メニューを作って教えてくれました。歩けない私に良い腰痛体操があると家まで教えに来てくれました。母のお陰で母から後れること3年目の春、やっと私もカーブスに入会しました。アルツハイマーの父の介護の体力作りの為縋り付く思いでカーブスに入会しました。母の難産を見てきましたので、長男のお産で自分は死んでしまうと思い込み~悪阻も全く無かったので食べに食べ25kgも太ってしまい。続けて4年間で3人出産しました。体重の増加とたび重なる8度の追突事故によるむち打ち症とぎっくり腰、筋力の衰えから左股関節の亜脱臼~歩くことも家事もままならない毎日でした。残念なことに父は、4月の末にお風呂の事故であっという間に他界してしまいました。私は、カーブスに入会して1ヶ月。マシンも1~2回ゆっくりやっと、座ったらなかなか立ち上がれず、マシンからボードへの移動もやっとでした。
5月、私の体の変化に興味を持った友人たちが10人以上カーブスに入会しました。6月、やっと妹もカーブスに入会しました。父の悲しいことがあっても母も私もカーブスに行けば、コーチやメンバーの皆さんが、「こんにちは」「元気」「ちゃんと食べてる」と笑顔で優しく声をかけて励まして下さいます。父が亡くなった翌年、母の胃癌が見つかり、早期でしたので内視鏡手術を受けました。高齢なので手術を受けられるか心配いでしたが、カーブスに通っていたお陰で胃の手術は無事に終わりました。けれどもどうしたことか退院した翌週右足が腫れ激痛のため~右足下肢ホウカシ炎で母は再入院、点滴治療を受けました。足の腫れと痛みで歩くことが全くできなくなりました。一週間で退院しましたが、たび重なる入院は、母の歩行を困難にしました。家の中にイスをたくさん置き~つたい歩きで少しづつ 歩けるようにがんばりました。2ヶ月位カーブスに行くことが出来ないのでお休みをしました。母は、2本のポールを購入し「ポールウォーキング」の講習を受け、歩く練習をしカーブスに復活することが出来ました。
残念なことに妹は、お金が無いからとカーブスを半年でやめてしまいました。
高齢の母は一人で生活もがんばり、毎日元気に通い続けています。カーブスで新しいことを習うと電話で「サルコペニア」知ってると教えてくれます父を亡くした頃には、父が迎えに来ると言って心配で寝れずにいた母が、カーブスにこつこつと通ったお陰で、「私は元気!」「私は一人で偉い!」と今月もカーブスの皆勤目指してがんばるぞぉ~と自分にエールを送っています。
母は、今年でカーブス入会7年目、洋服のサイズも小さくなり、体重も6kg減。私も入会4年目。私は入会1年半でウエストマイナス15cm!洋服も19号から9号に大変身。残念ながら妹は、カーブスを退会してから体重が増加、昨年足の指を骨折、更に歩けなく筋力が衰え、膝が変形し鎮痛剤を服用、お金があってもカーブスに通えなくなってしましました。母は今年80歳。今年のお正月に~老人会の皆があまりにも年寄りになって元気が無いので、自分は老人会を卒業して、カーブス一本で生きようかなぁ・・・と言っていました。
ところがどっこい、3月健康キャンペーンの時には、一週間に3人もお友達を体験教室に車で送迎していました。母の「筋肉は大切」というパワーに敬腹しました。
老人会卒業どころか老人会のお友だちをどんどんカーブスに入会さている元気な母です。カーブスのお陰で母も私も元気です。
いつまでも元気な母の笑顔に寄り添えられたら幸せです。あなたの娘に産んでくれてありがとうございました。共に100歳までカーブスをがんばりましょう!お母さん カーブスの種をありがとう。
グランプリ
「カーブスで変わった母の毎日。」
カーブスって
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