[カーブス田無]は田無駅の踏切の側にあります。最近の私は、踏切のカンカンと鳴る音を聞きながら、自分の前に立つ颯爽とした女性がカーブスに向かう女性だな?と判る様になりました。そして、私もその後に続きカーブスへの階段を上ります。
ドア開けるやスタッフの「美沙恵さ~ん、お早うございます」という明るく元気な声にこちらも笑顔を送りホっとする瞬間です。
初めてカーブスに通い始めた頃の私は、大病後のさまざまな後遺症に悩まされており、当時の日記には「疲れるから今日はカーブスに行かない」「午後出かける予定があるから、疲れてはいけないから行かない」「全然効果が判らない!」等後ろ向きの言葉ばかりが記してあります。「続けることができるか?」「めんどうくさいし辞めようか?」 友人も「効果無かったわよ」と・・・。
しかし、文句言いながらも細々と続けて2年半、今ではカーブスのお蔭で、筋力もつき、体力の付いた自分をはっきりと認識しています。疲れない体、歩くスピードが付いた体、山道を気持ちよく歩くことができる自分。 (体型は変わったりはしてないですが)苦笑・・・
2011年3月11日は、忘れもしない東日本大震災の起きた日です。その日私の仕事は休日で家にいたのです。4階の私の部屋は、今までに経験した事のない揺れでした。食器棚からコップが落ちて割れずいぶん怖い思いをししました。その後、刻々とテレビで放映される、未曽有の、被害の有様は到底忘れることの出来ない災害の大きさに胸を痛めました。それでも日々の生活は続いていきました。
そして、その年の10月8日の夜中に私にも、大激震が起きました。今まで大病など経験した事のない私でしたが、「急性大動脈解離」という病気を発症しました。
その日、私は近くの山、高尾山歩いてきました。一人住まいの私は簡単な夕食後、心地良い睡魔に誘われ眠りについたのです。夜中に胸の中で「パ~ン」と風船が破れた様な感じと凄い痛みで目が覚めました。痛みは止みそうになく、「これはただ事ではないな!」と思いました。夜間診療の窓口に℡してみました。「タクシーで三鷹の杏林病院に行きなさい」との指示でしたが、私はとっさに「待てない」と思い119番に電話しました。
サイレンの音とともに到着した救急車に乗車、車内で「薬手帳の有無」を問われ??確か先日薬をもらいに行ったから薬の内容を記した用紙はあるはず、場所を説明して、部屋の鍵を渡し取りに行ってもらいました。最初運ばれた病院で直ぐ検査が始まり、意識はまだあり医師達が何やら大声で「ここではダメだ!ここではダメだ!」「榊原、榊原だ!」との叫び声を聞き、再び救急車に乗せられ、「赤信号ですが、救急車が通ります!」ピポピポとサイレンの音、ここまでしか覚えていません。
目が覚めた時、子供達、孫の顔、兄弟の顔が見えてびっくりしました。この時自分では生還したのだな!というのが実感でした。病気の名前は急性大動脈解離。
「全弓部置き換え手術」を行ったと医師からの説明です。原因不明。「助かったのは奇跡」3週間の入院後、再び体調を崩し入院。
この間、すっかり全身の筋力低下、元気だった自分が信じられないほど、歩くこともままならない日々が続きました。それでも友人達の助けも借りゆっくりですが、元気になって行きました。退院後3ヶ月経った頃、私の中で「もう一度仕事に戻りたい!」「好きな山登りができるようになりたい!」という気持ちがフツフツと湧き上がってきたのです。
しかし、今までの様に働けるのか?体力はあるのだろうか?と考えると悩みました。
もし、神がいて「仕事なんてもっての外、家で静かに過ごせば長生きできます。仕事にでれば、命を縮めますよ」と言われたとしても私は後悔しない!まず仕事に出よう!
仕事に復帰できた時の嬉しさは、格別でした。日々の生活をすべて、仕事に身体を戻す為、早くリズムを掴めるように自分を集中させました。その頃はまだカーブスの扉を開こうなんて露程も思わずに!しかし、次に思いもかけない事が起こりました。私の中で大切にしてきた山仲間が私の山復帰を歓迎してくれなかった!まるでもう「あなたの出番は終わりました!」みたいに!
海外の山、日本の山、どれほど仲間と楽しんできた事か! 自分でも体力を快復しつつ山歩きに戻りたいと考えていたから、仲間と離れた時、山歩きを諦めるのではなく、一人で歩き始めました。しかし体力低下は歴然としています。筋力をつけるためプールには通っていたのですが、術後プールは辞めていました。何かないか?と考えていた頃、新聞の折り込みチラシでカーブスを知りました。早速調べてみました。「いいかもしれない!」
私のカーブス通いが始まりました。しかし思いの他30分の筋トレが当時の私にはとてもキツイものでした。月3回位しか行けない私に友人は「効果無いわよ!」。その友は辞めた人です!
それでもコツコツ通いました。そして現在2年半経ちました。
今では仕事の帰りにも通えるようになり、カーブスは生活の一部となりました。最近は本当に体力がついたのを実感しています。疲れない自分、山歩きを楽しめる自分を本当に嬉しく思っています。
今、私は70才です。高齢者との呼び方は嫌いです。年齢を気にしないで、何歳になっても背筋をピンと伸ばし颯爽と歩いていたい。病後の数々の体調の不快さ、気持ちの悪さを乗り越えて、3年経過した今、漸く体力の快復とともに体のすべての不快さが無くなったのを実感しています。 現在リハビリデイサービスで仕事をしています。
私も高齢者です。筋力がいかに大切か日々実感しています。カーブスのおかげで、体力を取り戻せた自分が嬉しくカーブスありがとう!