寒い日が続いていたのですが、この日は穏やかに晴れた冬日でした。
この日私は都退職公務員連盟の女性部会に参加するため、
中央線の日野駅から午前10時17分発の特別快速電車に乗りました。
会場は文京区の湯島にあります。会議は午後1時30分の開始ですが、
かねてより同じ部会の石原ルミコさんと、昼食を共にする為に11時半に上野駅の公園口で待ち合わせをしたのです。
上野には中央線で神田まで行き、山の手線か京浜東北線に乗りかえれば一時間余りで到着することができます。
神田駅で降りた私は乗りかえのためエスカレーターに乗りました。
日中の駅は通勤時間帯とはうってかわって、ゆったりとした空気が流れておりました。
エスカレータ―がホームに到着する数段前で、発車を知らせるアナウンスが聞こえました。
とその時どうしたことでしょう。私は急に数段を昇りホームに立つやいなや電車に飛び乗ろうとしたのです。
足を一歩電車の入り口にかけたその時、ドーンと強烈な力でドアが私に向かってくるではありませんか。
その瞬間私はドアにはねとばされ、ホームに尻もちをついていました。
「あっ、あぶない」。数名の男性の声が私の後ろの方でしました。
そのうち1人の紳士がそばに来て下さり「だいじょうぶですか」と声をかけて下さいました。
はずかしさでいっぱいの私は「だいじょうぶです。ありがとうございます」と言って立ち上がろうとしますが、
臀部を強く打っており、その方の手を借りやっと立ち上がることができました。
お尻が痛いだけで他は痛みがありません。
歩行もできましたので再度お礼を申しますと、その紳士はにっこり笑ってホームを降りて行かれました。
ふと前を見ると私が飛び乗ろうとした電車がまだそのまま止まっているではありませんか、
そして駅員の方が7~8名も私の所へ来られたのです。私はただひたすら平身抵頭をするばかりでした。
何でも駅員の一人の方が言われるには、この日神田駅で駆け込み乗車で怪我人が出たとのこと、
またか、ということで慎重になっていられたのでしょう。
私の一方的な不注意により電車を遅らせたり、駅員さん方にも多大な迷惑をおかけし、
どのように謝罪すればよいのか分かりませんでした。
それにもかかわらず「駅で少し休まれますか」と声をかけて下さり、うれしく思いました。
特に急いでいたわけではないのに、めったに行ったことのないかけ込み乗車。
今考えてもどうしてそんなことをしてしまったのか、自分でも分かりませんでした。
しいて言えば、いつも石原さんを待たしてしまうので、今日は少し早く行っていよう。
こんな気持ちがとっさに頭をよぎり、体が反応してしまったようです。
お尻の痛みは残っていますが耐えられないほどでもなく、何よりも歩行に障害がなかったことが幸いでした。
次の電車で私は上野駅に向かいました。上野公園は平日にもかかわらず、
かなりの人達が思い思いに散策を楽しんでいるようでした。この日は東京都知事選のまっただ中、選挙カーがやってきて、立候補者の演説が行われていました。
そうした中で石原さんとゆっくりちらし寿司の昼食を楽しみ、会議にも参加し、その後17時に無事に帰宅することが
できました。今までも電車に乗ると折につけ『かけ込み電車をしないで下さい』とのアナウンスを聞いておりながら、
自ら行ってしまったその無鉄砲さを反省せずにはおれませんでした。私は現在75歳、後期高齢者です。
運動神経も体力も劣っているのに、その衝動的とも思える行動に、今でも驚いている次第です。特にかけ込み乗車は今までも、カバンや傘などをドアにはさまれ、体がひきづられたり、腕などがドアにはさまれ骨折をするといった事故をよく聞きます。
カーブスのお友達にこの事を話すと「よく怪我をしなかったね。やはりカーブスの効果があったのではないか」と言われ、
体が本能的に危険を回避してくれたのではないかと思えるのです。
そういえば日常生活においても歩く速度が早いとよく人に言われたり、つまずいてもころばなくなりました。
正にカーブスの運動が私を救ってくれたのです。
打ち身の痛さも日々にやわらぎ、3週間で完治しました。年の割りに回復が早いと言われます。
医者にも行かず、ひたすらカーブスに通いました。実は私は10年前、
突発性正常圧水頭症という、いともめずらしい病気にかかりました。
この病は特に原因はなく、なんでも高齢になって発症する病気だそうです。
この病気は髄液の流れが悪く頭の中の脳室という部分に髄液がたまり、脳が圧迫されるために
3つの病状が現われるのです。1つ目は歩行困難、2つ目は尿失禁、そして3つ目が痴呆です。
私も歩行困難と尿失禁に悩まされていました。
この病気に治療法がなく、唯一の治療が頭にシャント(管)を入れ、
髄液を体内に流す方法です。七年前、ケアマネージャーさんにススメもあり、思い切って手術を受け、命を
を永らえることができました。
ところが3年余の間に私の体は腹囲は20cm、体重は5kgも増えていました。
この体形を何とかしたいと思っていた折、デイサービスのナースの上条さんがずいぶんすっきりした体形になっていられるので伺うと、
カーブスに行っているとのこと、さっそく紹介していただき私も入会しました。
あれから4年の歳月が流れましたが、なかなか理想には近づいてくれません。
でも筋肉量が増え、体脂肪が減少しております。こうした体の変化はもとより、
もっと大きな財産をカーブスは私に与えてくれました。
それはよい友人に恵まれたことです。特に親しい8名とは女子会と称し、
カーブスのあとでお茶をしたり、食事を共にしたり、年数回のバス旅行に行っています。
先日、3月28日には、新装になった歌舞伎座、警察博物館、
そなエリアと開花した都心の桜と共に楽しいバス旅行をしてきました。
私達はなるべく長く自分の足で歩けるように、人のお世話はなるべく受けないように元気で健康寿命を延ばしていきたいと、
皆で約束をしています。
カーブスに行けば仲良しの友に会える、こんな喜びがあるのです。
カーブスは今やなくてはならないものになりました。
さあ、今日もカーブスに行きましょう。
佳作
「カーブスで変わった私の毎日(カーブスはかけがえのない私の財産です)」
カーブスって
どんな運動?
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