近くの公園の桜が、今年も満開になりました。
淡いピンク色に染まった公園の中を、母を車椅子に乗せて散歩した日々を思い出します。
桜を見上げて嬉しそうに笑顔を見せた母の表情が、昨日の事のように心に残っています。
母が亡くなって5年目の春です。母と2人暮らしの、6年間の自宅介護でした。
心筋梗塞、脳梗塞と幾度か救急車のお世話になり、入退院を繰り返すたびに認知症も進み、始めの年は要介護3、最後の半年は要介護5。
足が弱って歩行器、歩行器から車椅子、車椅子から寝たきり・・・。
痩せ型の母でしたが、1日何度も母の体を持ち上げていた私の足腰は、悲鳴をあげていきました。
夜中の、こむらがえりが耐えられなくなって、時間を作って整形外科へ行くと、「腰から来るものです。しばらく通院して下さい」と言われました。
自宅介護の経験がある方はお解りでしょうが、介護する側の体のケアは、どうしてもあとまわしになってしまいます。
仕事も持っていたので、病院に行く時間を捻出するのが大変で、治療も満足に受けず六年間を過ごしました。
せめて早目にコルセット装着など、予防を心掛けていればと今になって反省しています。
母を天に送って、しばらく休めば治るだろうと思っていましたが、むしろ痛みは日に日に強くなり、
整形外科、整体、お灸に気功と、あらゆる所を訪ねました。
レントゲンの結果は、脊柱間狭窄と股関節の変形でした。
「これ以上悪くなったら人工関節を入れる手術」「放っておけば近い将来、圧迫骨折で車椅子」
「筋肉をつけるよう出来る範囲で体を動かすこと」。
そして以前、友人が勧めてくれたカーブスを思い出し、通い始めたのです。
母が亡くなって半年経っていました。
女性専用、しかも中高年中心のメンバーの中で、リラックスして運動ができるのは楽しい事でした。
普段使わない筋肉を動かせる12台のマシン、何よりもコーチの方々が明るい笑顔で適切なアドバイスをして下さいます。
多勢のメンバーなのに、1人1人の名前を覚えて(これは本当に驚きです!)呼んで下さるのも嬉しい事でした。
始めて数か月はなかなか計測の数値に変化が見られず「よし、もっとがんばろう」と少々ハードに動いたせいでしょうか。
足に強い痛みが走るようになり、ついにドクターストップ。2か月カーブスを休みました。
いく分、痛みが和らいで再開する時、今度は体の様子を見ながら、ゆっくり焦らずマイペースでいこう、と決心しました。
いつも感心するのですが、コーチの方々は我々メンバーのやる気を高めようと、いろいろな工夫をして下さいます。
「こうすれば何カロリー消費」とか、「チームに分かれての競い合い」とか、心を砕いてアイデアを次々と出して下さっています。
もちろん、それなりの成果を皆様が出していく中で、私は「ごめんなさい」と心の中で頭を下げながら、
自分のゆっくりペースを守っています。ゆっくりでも筋肉はつきますよ、という整体の先生の言葉を支えに、継続を1番の目標に・・・。
毎月1度の計測で、変わってきたな、と実感したのは3年目の頃からでした。徐徐に体重が減り太りにくくなり、
体年令は現在、実年令よりマイナス8才。去年、医療機関で受けた健康診断の骨密度検査では、なんと実年令の130%、20~40代の平均値でした。
継続は力なり、と実感する今日この頃です。
足腰の痛みは決して治ったわけではありません。
長く歩く時や階段の上り降りには、杖が必要です。「どうしたの!その歩き方は?」と聞かれ「母の介護が長かったので」と答えるたびに、
母を責めているようで心が痛みます。「まだ若いのに可哀相ね」と同情されるたびに、惨めな気持ちになります。
そんな中で、いつも明るい笑顔で迎えて下さるカーブスのコーチの方々から、前を向く元気を頂いています。
大変だった6年間の介護は、母との濃密なスキンシップの6年間でした。足腰の痛みは置きみやげでしたが、
母が遺してくれたものは、これから老いに向かっていかに日々を過ごしていくか、前向きに生きていく事の大切さだと、今気付いています。
大好きな一人旅を、また始めてみようと思っています。
以前訪れて自然の美しさに感動した信州に、紅葉の季節に行こうと計画中です。足腰の準備に、また明日からカーブスに通います。
佳作
「母が遺してくれたもの」
カーブスって
どんな運動?
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