私はカープスに通うようになってとても元気になりました。現在はもうすぐ77才になります。
子供は2人で娘と息子がいます。子育てのころはとても元気で、子供が学校に通うようになってから編み物を習って、
頼まれたセーターやカーディガンを編んでいましたが、そのうちに毛糸の値段が上がって仕事が無くなった為、
和裁を習い始めて資格を取り、それが仕事となり、長く続きました。
この仕事は座ってばかりいるので、忙しくなるトイレも我慢するようになり便秘になりました。
それが長く続くと腸が悪くなり潰瘍ができて入院、手術して治るのに2か月もかかりました。
「運動不足でしたね」。今になって思えば本当に運動していませんでした。家族には迷惑をかけました。
その頃、娘が短大に入り、少しでも家計を助けようとまた仕事を始める様になりました。
それからは前よりも仕事が多くなり病気の事も忘れて働きました。
その頃から、今度はお腹が痛くなり、夜中に病院に運ばれました。検査の結果、胆嚢炎でした。
また1週間の入院が必要となり、家族にも迷惑をかけてしまいました。
それから娘が嫁いでいき、孫ができたのでまた頑張って仕事に励みました。
毎日クーラーの下で仕事をしていたので身体によくなかったですね、腰痛に悩まされるようになりました。
そしてとうとう、腎盂炎になり、再び入院をしました。その1年後、今度は坐骨神経痛になり、本当に歩けなくなり、死ぬかと思う苦しみをしました。
知人の紹介で病院へいくと先生から「よくこんな状態を我慢していたね、必ず治るから」と言われ、毎日朝6時に起きて松葉杖での通院が始まりました。
その間には朝も早いため風邪をひくし、熱がある時には病院につき、点滴をしてから腰痛の治療などを繰り返し半年通院しました。
良くなった頃に娘からスニーカーもプレゼントされ歩くようになり、徐々に体調は良くなるものの、ぎっくり腰を繰り返したりと本当につらい時期でした。
それからは仕事を少なくして、運動になるかと踊りを始めましたが、再びぎっくり腰で整骨院に行くことに、
そのかえりには自転車でどぶに落ち、病院へ引き返し先生に笑われたりもしました。
その後亀有に引っ越しをしてからは、仕事はセーブして、友人に誘われてパッチワークやビーズ手芸、絵手紙などを始めました。
それからも整骨院に通院し、毎日1時間はスニーカーを履いて歩いていました。
その頃にカーブス亀有店がオープンし、その前を通るとカーブスのスタッフが沢山の人に声を掛けていました。
それを遠ざけるようにして、店の前を通らずに家に帰る様にしていました。
それが1年くらいしてから、整骨院の帰りに絵手紙の仲間に会い、彼女はカーブスの帰りだったのを知り、
カーブスの話を聞いてやっと筋肉が大切と気が付き『私も行くから紹介して』と頼んで5月からメンバーになり、
私もカーブスの良さを知り、早く元気になりたくて、1週間に5日通うようになりました。
日々、元気になり気が付くと整骨院にもいかなくなりました。
体重も少し減って、筋肉もついて楽しくて、楽しくて。
家族にも『元気になったね!!』と言われ、料理も楽しく作れるようなり、本当にありがたいと思い、
これからも身体が続く限りカーブスにお世話になりたいです。
私の誘いで一緒に頑張っている友達もいます。皆にカーブスに入って元気な毎日を送って貰いたいですね!!
やっぱり、筋肉を付けて運動をすることが一番大切です!
2014年の他の作品を読む