今日1日、心身ともに健やかに楽しくすごすことができますのも、カーブスみどり滝の水にご縁ができましたおかげと感謝いたしております。
短大卒業後、子育て、転居の期間を除き、通算50年、保育の仕事に携わってまいりました。
子どもの小さい時は近くの幼稚園での勤務で、家庭と仕事を両立させていました。
主人は高校教員で、比較的食事洗濯以外の手助けをしてくれ助かりました。
40歳後半より県外の幼稚園勤務となり、運転免許のない私は市バス、地下鉄、JR中央線、私鉄バスを乗りつぎ、
片道2時間の園へ23年間通いました。
朝は4時半に起き、家族の食事の準備、洗濯を干して、6時半には家を出て、園へ着くのは8時半の毎日でした。
真冬などはJR中央線に乗る頃にやっと東の空が明るくなる生活でした。
それでも「体力・気力・やる気」をモットーに、実した毎日を送ることができました。
50代後半になり娘夫婦と短期間同居したおりには、食事の準備のほか、
孫のおむつ洗いも加わりました。私が「新生児には布おむつが良い」と言ったばかりに洗濯量も増えてしまいました。
寒中の朝などは干した洗濯物やおむつがパリパリに凍っていった記憶も今では懐しく思われます。
園の方も、その頃より役職も増えて、朝8時半に園に着き、10時より地元での会議に出席し、それを済ませ、
午後には岐阜市内での会議に夜遅くまで出席し、帰りは12時近くに家へ帰り、
翌朝にはいつもの時間に家を出る毎日でした。
他県への研究会、会議はよくあり、海外への教育視察もありました。
それでも毎日を無我夢中で過ごしていました。
70歳になり、県外での幼稚園の23年間の勤めを辞め、一息ついたのも束の間、
お声をかけて頂き、今度は市内の保育園へ、その後同じ法人の市外の保育園へ6年間勤めました。
今までと同じく、市バス、地下鉄、JR東海道線と乗りつぎ、片道1時間20分かけて通いました。
保育園は働く親御さんの手助けとして朝7時15分より、夜は8時までの保育施設です。
私は朝9時すぎに出勤し、夜8時までのお迎えまでお子さんと待っており、帰りは9時半すぎに家に着く毎日でした。
幼稚園と違い、0~2歳の乳児のキラキラ輝いた笑顔に癒やされ、毎日楽しくすごさせて頂いておりました。
法人には老人、知的障害、養護、保育園などの施設があり、本部への提出書類も多く、
幼稚園勤務の頃は管理運営のみで、書類作成などは職員にまかせておりましたが、
保育園では職員も、私分の書類作成まで手がまわらず、必要に迫まれてパソコン操作も覚えました。
まさしく70の手習いでした。6年間勤務の3年目に主人が1年間の入退院を繰り返し、他界しました。
悲しい日々を今まで以上に仕事に没頭し、一昨年通算50年間の勤めを終えました。
長年、決められた時間をすごした毎日でしたが、家での生活をどう過ごして良いかとまどってしまいました。
新聞は情報源として勤めていた頃も、毎日の往復の電車の中で読んでいましたが、
折り込みまでは時間もなく観る機会がありませんでしたが、家にいるようになり、唯一時間のゆとりができ、新聞と共に折り込みにも隈なく目を通すようになりました。
2週間もすぎた頃より、体力の衰えを感じ不安に思っていた頃、折り込みの中にカーブスのチラシをみつけました。
すぐ電話をしますと、先生の明るく親切なお声を耳にし、早速予約をし、後日みどり滝の水を訪れました。
ドアをあけ目に入ったのは、指導の先生方の笑顔と元気なお声、いきいきとしたメンバーさん達のトレーニング姿。
とても魅せられました。説明して下さった先生もにこやかな笑顔で丁寧にお話をして頂き、「私でもできるかな?やってみよう」と体験に参加、
カーブスのメンバーに入れていただき今年で2年目を迎えました。
今思いますと、カーブスみどり滝の水との出合いがなかったら体力の衰えはもとより、心の安定もなかったと思います。
今では中村マネージャー、水野店長さんご指導の先生方に支えられ、
メンバーさん達にも声をかけて頂き、心身共に安定し、楽しく通わせて頂いております。
おかげさまで月1回、市外での保育研究会にも出席し、夜おそくまで保育を語りあったり、
地域のボランティア活動にも参加させて頂いております。ありがとうございます。
佳作
「カーブスのおかげで、心身ともに元気になりました。」
カーブスって
どんな運動?
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