私は75歳。毎日趣味のカラオケや、老人会のお世話など、特別ではないけど、普通―に幸せな毎日でした。


 5分ほど離れた所に娘夫婦がいて、小さなお店ですか、娘たちは自分達が立ちあげた車の中古屋さんを経営しています。15年ほどになるので、ようやくローンも終わったと喜んでいた矢先でした。それは2年前の4月頃、急に娘から「洗濯物を干そうと思って、かごを持ってベランダに上がったら、お腹が痛くて苦しいー」というメールが入りました。私は朝の散歩に出ていましたが、急いで帰り、どうしてなのかと聞いてみました。3月に市民検診の胃の検査をしたが、その時は別に以上は無かったとのこと。それでも急いで、私の行きつけのお医者さんに行き、色々見てもらうと、何処と言って悪い所は無いので、心療内科へ行けと言われました。
 娘は「お医者さんは原因がわからないと、すぐ心療内科に行けと言う」と言って聞きませんでした。それではもう一度胃カメラを飲んで検査をしてもらおうと、麻酔で楽にできる所を探し、予約しました。それでも検査となるとどこも満員で、何日か待たなくてはならず、「食べたら苦しい」と言うので、お粥とビスケットばかり食べていました。辛抱しながら検査の結果は、ピロリ菌がいるとの事でした。ピロリ菌は先の検査で駆除したはずでしたが、まだ無くなっていなかったようです。その後、腸の検査もお願いして診てもらうと、腸の長さが普通の人の3倍位長いそうで、そこにポリープがあり、入院して取るほうが良いとすすめられました。
 暑い8月でしたが早い方が良いだろうと、ポリープを切除。やっとこれで治ると思っていましたが、病気の辛さがストレスとなったのか、それとも以前からのストレスが原因で病気が悪化してきたのか、病気は治ると思っていたのに、食べると苦しいのは治らず、とうとう心療内科へ行く事になりました。
 「素直に薬を飲むと楽になるから」と言って聞かせても、「薬は常時飲むと癖になる」とか、なかなか思うように私達の言葉を受け取らず、苦しさは増すばかり。それでも秋頃の涼しい季節になると、食欲もかなり出るようになり、私達は大分良くなっているように見えたのですが、自分は悪い方にばかり考えていたようで、「死んだ方がましだ」など、そんな事を口にするようになり、その年の11月に自分で命を絶ってしまいました。

 まさかそこまで思いつめていると考えていなかった私は、ショックで立ち上がれない位悲しみました。それでも、翌年大学受験を控えている孫を支えなくては、と必死でその日その日を過ごしました。娘の旦那もショックでかなり落ち込んでいる様子でしたが、みんな必死で生き延びた感じでした。
 孫(次男)もやっと国立大学に入学がきまり、長男は3回生になり、ほっとした途端に、私は自分の体が10kg痩せている事に気が付きました。今度は私が、娘の病気を貰ったのではないかと思う程、何もする気が無くなり、それでも色んな所へ相談に行ったりと、もうへとへとでした。


 そんな時、何気なく見た看板に、すい寄せられるように入って行きました。丁度休憩の時間でしたが、親切に対応して下さるスタッフの方に色々話している内、やっぱり急に痩せたので、筋肉が弱ってしまっている事を聞きました。
 私は不安でしたが、とりあえずここで身体を動かしてみようという気になり、それから人の多い時間を避け、静かな時間に教室に行くようにしました。
 初めは賑やかなのが辛いと思っていた私が、その内に賑やかな声を聞く方が、気がまぎれ楽しみになり、自分が変わっていく事の不思議さえ感じるようになりました。毎日会うたび優しく名前を呼んで下さるスタッフの優しさに勇気を頂き、又、だんだん親しくなる仲間の支えも貴重な私の楽しみになりました。 
 時間の予約が無いので、都合の良い時間に入れるのも魅力です。もう今年は8月頃には300回記念のTシャツも頂けます。
 今では腰痛や食欲不振も解決し、今までの趣味も色々始められるようになりました。本当にカーブスに会えた事が、私にとって最高の幸せでした。私の変わりようを見て入会して下さった方も、今では本当に良かったと喜んでいて下さいます。
 長男のお嫁さんも、孫たちの母親代わりに、休みには家庭の味を味あわせてやってくれます。私がカーブスで元気になった事は皆に話して、心から喜んでくれます。


 今後もいつまでも元気でいられるように、色んな事に参加して、カーブスを是非皆に進めたいです。有難うございました。