「こんにちは!」カーブスの扉を開けると第一声が聞こえる。気分はルンルン。私のニックネームは「チー」。ちいさいから「チー」。高校のバスケットボールクラブでつけてもらった。
 22歳になる前に結婚し、24・26・29歳で出産。いずれも、産休だけで看護師の仕事をしていた。だから身長151センチで、臨月でも50キロに達しなかった程、小柄で健康だけが取り柄である。(子供は3キロ以上で出産しています)30歳代は、健康診断で体重が40キロないのがはずかしく、わざと思いジーパンを履いたり、ポケットに小石をつめていこうかと思うくらいやせていた。今思えば、筋肉がやせていたのである。しかし、40歳を過ぎると、年に1キロずつ体重が増え、45キロに到達すると、「キャーこれ以上増えないで~」と心の叫び!!と、いうのは、透析室で働いていたので、患者様には、「塩分・水分を控えて体重増加を抑えましょう」と指導することが仕事であったからだ。透析室の体重計に、ポケットのボールペンなどをだしてそーっとのっていた。自分自信の身体の自己管理ができないことに焦りも感じていた。
 そうこうしているうちに襲ってきたのは更年期障害。イライラや落ち込み、将来への不安・・・生理が止まったり、身体のほてりや異常出血。40歳過ぎに婦人科へ訪れた時には「子宮筋腫がありますね」と。ホルモン療法は、筋腫を大きくする可能性があるため断念。それに加え、寒くなると左足のふくらはぎが冷たくて、じっと立っていることも辛かった。腰も悪いのかと整形外科に行ったこともあるが、血行障害を起こしていたのである。血液サラサラの薬も生理が多いと飲むのが怖く、辛い冬を何年も過ごした。子育てや仕事で自分の身体にかまっている時間がなかった。そんな47歳の春、市内にカーブスが開設されたことを知った。また、72歳の母が入会したことも知った。だから、私も定年後に運動すればよいと軽い気持ちでいた。


 そして、48歳。体重も48キロに。更年期障害の火照りはますますひどく、背中がカーッと火照る。まるでカチカチ山のたぬきだった。しかたなく、婦人科を受診し、薬を飲んだ。が、一週間も飲まないうちに、排尿障害とむくみで体重が1キロ増え、「もうこれはカーブスしかない」と思って電話をした。初めてカーブスに行った時、冒頭のように「桂子さん」と呼ばれ、すがすがしい気持ちになったことを今でも覚えている。だって、お母さんとか、看護師さんとか名前で呼ばれることがなかったから・・・。
 初めての計測では、見かけはやせていたので、コーチが「びっくりした。びっくりした」の連発。内臓脂肪がすごくたまっていたのでしょうね。運動を始めて数回で、顔が小さくなったことを実感。肩こりも無くなっていた。
 ちょうどその頃、仕事上でも、このまま3交代勤務ができるか?職場(科)の移動がないだろうか・・・。定年まで働き続けることの不安があった。色々な人に相談もしたけれど、友人からクリニックで働かないかという誘いがあり、退職を決心した。それには、カーブスも後押してくれていたように思う。今の職場は帰りにカーブスに行ける時間もできたから。
 人生をポジティブに生きる勇気までも与えてもらったように思う。カーブスに入会して1年に5人の友達や娘を紹介した。1人は、看護師の国家試験を目前にしていたので、勉強が一番だけど、運動で代謝をよくしたら暗記力もアップするのではとすすめた。結果、無事合格!!2年目に紹介した人は、男の子が3人いたのだが女の子がほしいと。カーブスで女性ホルモンが活発になってみごと女子を出産。すごい。
 

 そして3年目。更年期障害も落ち着いてきている。左足の冷たさも軽減し、今年はハイソックスでなくても過ごせるようになった。プロテインも飲んで、43キロまで減量。これからは、筋肉をキープしなければ・・・。
 この間に孫もできたので、元気なおばあちゃんでいたいと思っている。75歳になった母も4歳の孫育てをしている。一時は、私の娘もカーブスに通っていたので、親子・孫三代でカーブスに所属していた。いずれは、ひ孫の代まで一緒にカーブスに通えるのではと思っている。今日を喜び明日を楽しむ気持ちでいられるのはカーブスのおかげである。