「どうされました!? おねえさん」ひさしぶりに妹宅を訪れた日、出迎えた義弟は、驚いたような声をあげました。つづいて妹も私の姿に戸惑うように言いました。
 「今日のタカ子さんは、なんだが颯爽としてスタイルがよくなったみたい!」「ほら、見てください。杖が無くても歩けるようになったのです!」一番に報告をしたかった妹夫婦の前で、胸をはってみせました。
 その日は、通い始めて二ヶ月目のカーブスからの帰り道。薄いシャツにスラックス姿でした。確かに今までは体型を隠すためにいろいろと重ね着をしていました。体重が十キロも減ったわけではありませんが、ひと月で三キロ減、下腹部はすっきりしていました。妹夫婦に「姿勢が良くなった」「表情が生き生きしている」「バランス良くスリムになっていて、すごい」などと賛辞をうけると嬉しさが胸いっぱいになりました。
 妹夫婦に驚かれる二ヶ月前までの私は、出口の見えないトンネルの中で生活をしていたように思います。変形性関節症と診断されて、治療、リハビリを十年ほど継続してうけていました。けれども、膝の痛みは強くなっても消えることはありませんでした。杖がなくては出かけられませんでした。そのような状態での同級会の旅行などは、いつも誰かのお世話になり、迷惑をかけ、さらに膝の痛みが楽しさを半減させていました。デパートへの買い物は、歩くことを考えただけで遠のいていきました。行動範囲がどんどん狭まっていき、気持も暗くなっていきました。そして昔を懐かしむばかりの身となってしまう自分が、嫌でたまりませんでした。生来、身体を動かすことが大好きでしたので、若き学生時代には体操クラブでダンスに汗を流し、演劇に夢中になり舞台いっぱい駆け回ったり、夏の日には揃いのゆかたで盆踊りを楽しんだり・・・。生き生きとして健脚だった日々が走馬灯のように現れては、現実の生活への絶望感に陥りました。後ろ向きの気持は、苦しいものでした。
 ところが昨年八月のある朝のことでした。
「痛くても通えます」「女性だけの三十分体操」
 新聞折り込み広告が、私の目に飛び込んできたのです。救世主(メシア)に出合ったようでした。私の心に灯火がともりました。気がつくと、まっしぐらに、私は、その折り込みを手に車を走らせていました。指導員の方の説明も、その教室の雰囲気も、十分納得できる内容の場所と思いました。その日に、カーブス入会を決めたのです。
 そして、翌日から私の生活は一変しました。目覚めると、昨日までの自分ではありませんでした。家事がリズムにのって、どんどん片付いていくのです。ひきずっていた脚が、動いてくれました。カーブスへ通うことの楽しみが、不思議な力をくれたのでしょうか。日に日に私の心は弾み、再び明るく、前向きに生きていく気持が湧いてきました。


「魔法の三十分」
 年齢を超えて、心の向かうところが同じ方たちと一緒に、頑張れる時間。ストレッチをしながら、なにげない会話を交わす時間。今では、私の一番大切な時間と場所になっています。七十四歳の年相応にゆっくりと、休まずに続けていこうと思っています。コーチの方の真剣なご指導のもとで、夢のような現在の生活を手にすることができました。
 妹夫婦の驚嘆の日から半年。その声を力にして、ますます精進していきたいと思っています。今まで妹宅は、愚痴を聞いてもらうための訪問でしたが、最近では変わってきました。
妹「肌がきれいになったみたい」
私「水素水を一日八〇〇cc飲んでいるの」
妹「会うたびに元気に、そしてきれいになっていくのね。がんばってね」
私「もちろん。これからも健康を維持していくために通うつもりよ」
妹「九十歳まで!?」
 妹よ。私は生涯カーブスに通うことにしたい、と思っています。身体が健康になると心まで健康になっていくことが分かったからです。


 先日、同級会で伊香保温泉へ出かけてきました。杖なしで、数えきれない程の階段を自分の脚で歩いてきました。楽しい旅行でした。