カーブスに入り、今年の7月で5年目になる。まだ続いているの、と私を知っている友人は驚くが、実は私自身が一番驚いているのかもしれない。学校を卒業して何が一番嬉かったかといえば、体育がなくなったことと答える程の運動オンチ、プールもジムもすぐにやめて、つくづく運動との相性がわるいと思っていた。
5年前、運動しなければと思いつつ、何をしていいかわからない。会うたびに太るわねといわれつつ、これも個性よ、中国のタイタイだと居直っていた。義母の認知症がすすみ、同居していた頃である。料理も好きだし、食べるのも飲むのも好きとならば、やはり体重はどんどんふえていくのも無理はない。
20年近くヘルパーをしている。自転車は足替りで走りまわっていた。世田谷は坂の多いところだが、いつのまにか自転車で坂道を登りきれなくなったのには驚いた。今度買い替える時は電動かな、と思っていた。筋トレのビデオなどやってみたが、やはり一人では続かない。そんな時、雑誌でカーブスの記事をみた。なんとなく気になっていた梅が丘の駅前の紫の看板をみつけ、入会した5年前である
あっというまにすぎた。生き生きした元気なスタッフ達に名前をよばれ、はじめは一寸てれくさかったけれど、いつのまにか慣れて、笑顔でうけこたえできるようになった。何よりも女性ばかりのジムは気楽で、仕事の合間に立ち寄り、又仕事にいける手軽さが気にいった。週3回30分の出会いだけれど、思いがけないところでメンバーに声をかけられてびっくりしたり、出会いが少しづつ広がっていくのも、続けていたからだこそと思っている。
始めて半年で4kg減った。久しぶりに会った友人に、「精子さん背脂とれたね」といわれた。
このままどんどん減っていくのかとわくわくしたが、そううまくはいかなかった。だけどいつのまにか気がついたら、自転車でどんな坂道でもぐいぐいとのぼっていた。のぼりきったら電気工事のおじさんに「奥さんすごいね、たいしたもんだ」と言われた。自転車を買い換えたが、電動ではなく自力でうごかしている。
今から思うと、介護でいっぱいいっぱいだった時だった、義母は好きだが、言葉にふりまわされ、同じ空気をすうのもつらい時もあった。カーブスの30分で気分を切り換えて、むきあえたのも不思議だった。体をうごかすことは、心をうごかすことにつながるような気がする。少なくとも、あの時期をのりこえた要因の一つに、カーブスは大きいと思う。母はその後、グループホームに入居し、先日の父の葬儀には喪主を最後迄つとめてくれた。おだやかな日々をおくっている母をみる度に、あの時期をのりこえた幸せを感じ感謝している。
同じ頃、多摩川ウォークに参加した。多摩川の源流のはじめの一滴を指にうけた喜びを、今でもはっきりおぼえている。それから日光街道、富士周遊一周、山手線一周ウォークと、次々と歩き旅の楽しさを味わっている。
翌日、筋肉痛もおこらず、仕事も休まずにつづけられているのも、カーブスの積み重ねのおかげだと思う。体温も35度6分から36度3分に上った。そのせいか風邪にもしばらくかかっていない。
5年間沢山のスタッフが入れ替ったが、どのスタッフも一生懸命に教え、名前を呼んであいさつしてくれる。メンバーも巾広い年代の人が心から楽しそうに通ってくる。入会したはじめの頃からどんどん表情が変ってくる人達をみて、人は変るという現実に感動した。スタッフが一人一人に親身になって対応しているのを身をもって感じる。
残念なのは沢山のスタッフがやめていくこと。家庭の事情や、結婚やら妊娠やらいろいろな変化はある年齢だが、登録制にでもして、又戻ってこれるシステムがあればいいと思う。若いスタッフのフレッシュさもいいが、いろいろな経験を重ねてきたスタッフの説得力や、想いに感動する。女性の一生に関わるカーブスだからこそ、スタッフにとっても一生関われるシステムをつくって欲しい。いろいろなことを共有してきたスタッフと何年後かに又会えるのは素敵だと思う。
去年から5年をすぎた年末に、ゴールドカードという制度ができた。同じ頃入った人達と今から楽しみにしている。10年たったらプラチナカードもいいな、と思う。
カーブスに出会ってよかった。今迄共にすごしてきたスタッフやメンバーから、沢山の元気をもらって筋肉と共に元気もふえてきたようだ。年を重ねていける喜びを教えてくれたカーブスは、私の幸せの場所である。