始めに。
 二〇一三年、カーブス大賞に応募させて頂きました。
 文を書くのが大の苦手で、生まれて初めて、この様な長い文章に挑戦しましたが、恥も省みずに、私の身体の変化を書きたくて、ペンを取りました。まとまりのない文章でさぞ読みにくいと思いますが、後拝読頂ければ幸いです。


 平成二〇年一月三十一日(日曜日)の夜、息子が夜勤の仕事で出勤したので、ふとんに入り休もうと、玄関の戸締まりを確認に行った所で、突然倒れました。そばの柱の角で頭をぶつけ、床に血が流れびっくり、病院へ走り頭を三針縫う怪我をしました。これが不調の始まりでした。


 その頃は、失禁にも悩む日々が続いていました。四月に入り、ある早朝、気分が悪く目が覚め、かかりつけの内科を受診。三日程通院しても、改善されず(八年前より血圧の薬は服用していました)、別の内科を受診。その時血圧が二六〇と高く、心電図でも軽い狭心症が見つかり、先生からは、「少し体重を減らし、運動をする様に」と言われ、気分のよい日は主人も一緒にウォーキングをしてくれ、少しは体を動かす事も出来ました。六月に入り、夕方近所の方と立ち話中に、又その場に倒れ、内科の先生の紹介状を持って、総合病院の神経内科へ。CT、MRI、脳波と検査、脳波に異状が見つかり、左前頭葉に波形の乱れがあり、てんかんの一種と診断されました。飲み薬で治療する事になり、内科の飲み薬と合わせ、9種類と気の遠くなる様な薬を毎朝食後に飲み、てんかんの薬を飲み始めた頃より、風呂上りにお猿の顔の様にまっ赤になり、かゆみも伴い、翌日鏡を見るとカサカサの肌で粉が吹きびっくり。皮フ科で「脂漏性皮フ炎」と診断されました。ステロイド剤でかゆみと不眠の戦いが始まりました。
 暑い夏に加え、三度の食事の支度も苦痛な日々が続きました。八月一六日、また居間で倒れますが。九月に入り、今度は主人が「食欲が無い、体がだるい」と訴え、好きなお酒も飲まなくなり、気力も出ないと横になる日々が多くなりました。
 検査してもどこも異状が見つからず、心を痛めていました。私も十一月には右手が上がらず、五十肩に。十二月には強いドライアイと、次々と体に異変があり、自分の体が情けなく、自暴自棄になる事もありました。
 病院通いの一年が終り、平成二十一年、正月早々右手親指に違和感があり整形へ、腱鞘炎と診断され痛みをこらえての生活が続きます。
 主人は五月~六月は、食事以外はふとんから起きられなくなり、精神科の先生から重度のうつ病と診断され、今の病状からは「何も言わずに遠くから見守ってあげて下さい。」と言われました。毎日一緒に生活を共にしていて、どの様に接していいやら、戸惑いで、ストレスも溜まりました。


 そんな最中に、福島県に住む主人のお姉様が亡くなった、との知らせが入りました。主人は今の体の状態では葬儀には行けないと、しかたなく息子を代理に連れ福島まで行き、葬儀に出度して、強行なスケジュールで帰り、体を休める間なく、翌日に私の妹が乳ガンで亡くなりました。
 一週間に二つの葬儀に参列し、過労でダウン。そして、右手の腱鞘炎の痛みが限界に、生活にも支障が出てきて、七月に手術を受けました。


 辛さ、痛み、悲しさ、を感じながら、忙しい一年が過ぎ、平成二十二年気持ちも少し落ち着き、自分の身体、ブヨブヨのお腹や重い体を何とかしたいと思いながらも月日が流れ、その頃から新聞の折り込み「チラシ」でカーブスの事が目に留まる様になりましたが、自分から電話する勇気が出ずにいる時、九月末、毎日買物に行くスーパーの入り口で、コーチの方に「一日無料体験しませんか。」と声を掛けてもらい、その場で日時を約束し教室に伺いました。
 自分より年上の方も、イキイキとマシンを使い楽しそうに運動しているのを目にして、私にも出来そうと思い、その日に入会の手続きをして帰りました。十月から通い始め、少しずつマシンにも慣れて、顔みしりの方もいたので心強く思い、気分よく体を動かす事が出来ました。


 少しずつ体に変化が出始め、まずはズボンのウエストがダウン。ひどかった肩こりも改善、代謝がよくなり汗もかく様になりました。
 入会して二年、血圧も安定し、半年ごとの血液検査も、毎回指摘されていたコレステロール、中性脂肪も基準値内に。そして一年に一度の脳波の検査も、「薬を飲まなくてもいい程の波形ですよ」とうれしい言葉をもらって帰りました。骨密度も、一年前よりアップしました。体を動かす事、そして筋トレの大切さを実感しています。
 

 今日も教室では「腹圧意識して、腹圧入れたまま移動して下さい」「水分もこまめに取って下さい」とコーチの方の声が飛びかっています。夫は、元気になった私に「今日もカーブスへ行くのか」と聞き、返事をすると、持って行く水を用意してくれたり、車の免許が無いので天気の悪い日は、車でカーブスへと送り迎えをしてくれます。車から降りる時には、必ず「ありがとう」と言って降ります。
 主人も今では、気力も回復し、ウォーキングをしたり、週に一回ですがプールへ行き体力作りをしています。お酒も飲み、以前の様な太鼓腹に戻って来ました。自分にも気持ちの余裕も出来、毎日の生活にもメリハリが、カーブスへ行く日は、夕食の段取りもして行ける様になりました。変形性膝関節症、腰はヘルニアも有り、これからも自分の体、病気と上手に付き合い、体の動く限りカーブスで筋トレに、がんばりたいと思っています。


 今回も主人の用意してくれた水を持って「行ってきます!」と言って、カーブスへ自転車を走らせています。