私とカーブスの出会いは、三年前の四月、行きつけのお店の二階にカーブスがオープンした時。以前テレビで紹介されていて、近くにできれば行きたいと思っていたので、迷わず体験に申し込み、入会した。
十年位前まで、私は楽しみと健康維持の為、子供の小学校の〝ママさんバレー〟のサークルに加入していたが、肩やひざを痛めたり、私の親や家族の都合などで、休みがちになり、久々に身体を動かすと、厳しい動きについていけなくなり、五年位で止めてしまった。
家の近くにスポーツクラブができて、入会してみたが、良い効果が出ているか実感もなく、マシーンや教室の種類も多く、自由に使える割には、私が行く時間には、いつも混み合っていて、上手く利用できず、一年位でやめてしまった。
私の親の送迎や用事で、車で出ることが多くなり、日常の生活に気をとられ、自分の身体の事は後回しになり、肩、ひざの痛みが出て来て整骨院に通っていた。
こんな私なので、続けられるか自信はないが、迷っている場合ではなかった。人生の折り返し地点を過ぎて、体力や筋力に自信が持てなくなってきて、少々焦りもあったのだ。
私の母は、十六年前、六十才の誕生日を目前に脳梗塞になり、入院とリハビリを何度かくり返し、左半身のマヒは年々悪化していった。その様な状態でもリハビリの為に、夫婦二人三脚で十数年は自宅で頑張っていた。
そんな母を見ていると、つくづく一度衰えた筋力を元に戻すのは、並大抵のことではないと思った。リハビリをしても、週に、二、三時間位だと、一歩進んで二歩下がる様な状態で、自宅前で歩行の練習を頑張りすぎて、健常な方の股関節が無くなり、人工の股関節を入れてもらう大手術を受けた。
その後のリハビリは、もっと大変だったが、それでもリハビリを頑張り乍ら、デイサービスやカラオケや書道を楽しむ気持ちも持っていた。
徐々に足の筋力が衰え、転倒して、腰部骨折、入院、リハビリをくり返し、早めに介護付きのホームに入所した。筋力は、一層衰えるが、やむを得なかった。
私の夫は、大病を患うことなく、無事に定年を迎えようとしています。お互いに、両親や子どもの事も良く頑張ってこれたと、感謝している。
夫が、以前から、よく口にしていた言葉を思い出す。健康は一度失ったら、なかなか取り戻せない。お金がたくさんあっても、健康は買えない。他の費用は多少節約してもよいが、食べ物は、始末しないで健康でいることが大切だ、と。夫の母は食も細く、病弱だったから、なおさらだろう。
今は、母の身の回りの事はホームの職員さんにお願いし、私が車で出かける事が増々多くなり、それが良くないことは、重々わかっているが、だからこそ、出かけた帰りには、カーブスに寄ることを習慣にしている。
シューズや会員証等はいつも車に入れておき、Tシャツや動きやすい服を着ておく。上衣を取ればすぐワークアウトに入れるようにしておくのだ。どんなウェアでも良いので、気楽に通える。
マシーンとステップボードが交互に十二台ずつ円型に並んでいる所を二周して、筋肉作りに集中し、最後にストレッチしておくと、より脂肪の代謝を高めるという。三十五分以内で終われるようになっていて、途中三回位止まって脈を測り、余り激しくならないようになっている。
身体に適度な心地良さを感じながら、ワークアウトを終えると、今日も元気で、カーブスに行けて良かった、と充実感を感じられる。
ワークアウト中に水を500㏄飲むとか、週三回以上行く等で、カーブスドルをもらいコツコツ貯めて、Tシャツやバッグなどのグッズをゲットしたり、スタッフの方や、他の会員の方と自然にあいさつしたり、おしゃべりしたりできるのも楽しみになっている。
毎月曜日には、一週間の予定を見て、何曜日の何時位に入れるかを考えるのが習慣になっている。
私の場合、十代の頃、太り出したのを気にして、白米を余り食べない、昼食を抜く等、とても不規則で、内容のバランスも良くなかった事を反省し、野菜やたん白質中心に摂る様に心掛け、週に三回はカーブスに行く事に慣れてきた。
毎月初めの計測を続けていると、一年目頃、数値を比べて驚いた。腕回り、太もも回りが、四~五センチ減っていた。太もも回りのしまりがないのも仕方ないとあきらめていたが、明らかに、しまってきたのを実感した。
二人の子供は成人し、これからは、夫婦二人で出かける事も多くなる。今まで以上に夫も私も健康でありたいと願う今日この頃。
そのためにも、食事の内容に気を配り乍ら、カーブス生活をコツコツと長-く続けていく事は、私と家族のためにも、私の義務でもあると思っている。そして、カーブスに行かせてくれる家族と、カーブスの皆さんには、本当に感謝している。