友達によく聞かれる「カーブスとどの位近いの?」「カーブスまで五十歩百歩なの」「そんな時には五十歩、百歩なんて使わないのよ」でもその位近い所に我が家がある。
六年前、オーナーの家に伺ったときに「今度二階に体操教室が出来たら覗いてみますか?」と言われ、男性は入れないからと扉のくもりガラスのないところでオーナーとしゃがんで覗いてみた。早速入会したが、それから何人かに私のその場面を覚えていると言われた。
翌年主人が亡くなり体重はたちまち五キロも減り、おめでとうと言われた。
間もなく一人住まいの長男と同居することになり、糖尿病と晩酌をする食生活に私は悩んだ。
毎日カーブスに行くのが何よりの楽しみにストレス解消となった。
三月十一日のあの大震災にも揺れる余震の中、数人と「お帰り下さい」と言われるまでカーブスでストレッチをしていた。
その後余震の時も息子は「お母さん手を、手を、一緒に逃げよう」と言ってくれた。
優しい息子も五月三十日に意識不明のまま亡くなり、寂しい一人暮らしとなった。でも優しいカーブスフレンドは何かと声をかけて励ましてくださった。
ある時、隣同士で体操をしていたら眼と眼があい、私の家の前で「お線香を上げさせてください」と言うKさんと知り合った。
後に主人同士同じ高校、大学だったり、先祖の墓が近かったりの共通の友達が出来、急に親しくなった。
「十ニ月アメリカのクルーズがあるけど行く?」と聞いたら即座に決まり、息子の次女がサンフランシスコで獣医をしているので一緒に一日を楽しんで来た。
船内にはフィットネスセンターもあり以前ジムにも行ったことがあったので一寸覗いてみた。
日本の男性から「今まで運動していましたか?」と聞かれたので「カーブスに行っています」「ホームページに私の文章がのっています」と言ったら彼は持っていた携帯を人差し指でくるくると回し「出ていますよ、ほら」と見せてくれた、去年だした佳作「カーブスで変わった私」でした。恥ずかしかった。
私の全てがわかってしまったから。
三食付のどのレストランに行っても無料の船内は日本食、寿司バーに人気があった。
十日間、運動不足を補う為、毎朝八時デッキを二回りしたが帰ってきて測ったら2キロも体重が増えていた。
「私は少しも体重が減らないのよ」と云う人に「幸せだからよ、悲しい時は食事も喉に通らなくなるから」と私の経験を話す。
今は心身ともに落ち着き、一人暮らしの楽しさを満喫している。
「今度は何処へ行こうかしら」カーブスで鍛え、まだまだ若い人に負けられないと週に四、五回行っている。
今日で1050回カーブスで励んでいる。
大正生まれの長原カーブス 小口 郁子