三年前の春。健診結果を見てハッとしました。前の年に比べて体脂肪率が二%も上がっていたのです。ショックでした。でもすぐさまその現実を受け入れたのです。
というのもこの数ヶ月の間、確かに自覚はあったのです。夕食後にパソコンの前に座った時のお腹の感触。そしてウエストまわりの状況が怪しくなった気がしてメジャーをあてた時は心なしか恐る恐るだったし、自然と息を吸いこむ動作もしていました。いつの頃か食事の量を減らしても体重計の針がピクリとも動かなくなっていたのも知っていました。
「このまま放っておくわけにはいかない」
という気持ちが急激に膨らんでいくのが分かりました。
やっぱりここはまず腹筋だろうと思い横になったものの、腰が痛かった事を思い出しやめにしました。次は通販カタログで見た〝ダイエットスリッパ〟です。見つけた時は思わずうれしくなりすぐに購入。やる気満々でスリッパをはき台所に立ってはみたものの、三十分で腰痛と股関節痛の為に動けなくなりました。
その次はベリーダンス教室への入会でした。アラブの音楽は耳に心地良かったけれど、エジプト人講師の理解に苦しむ日本語と、腰痛のせいで不規則な音色を響かせる自分のヒップスカーフにはほとほとげんなり。結局三ヶ月で退会してしまったのです。
その後も「やせる」「ウエストを絞る!」「体脂肪を減らす」の誘い文句にテレビにかじりつき丹念にメモをとり、雑誌を見つければすみずみまで読み込んでいきました。
手を変え品を変えと様々な方法を実践したのです。でもそのたびに二十年来の腰痛がかおを出し行く手を阻むのです。
「私ってこんなにダメだったんだ...」このまま体脂肪率が上がっていったらこの先どうなってしまうのか。いちいち邪魔をする腰痛が五年後、十年後の将来にどう影響していくのか――。経験したことのない気持ちにぐるぐるとおそわれ、もう私には可能性というものが何一つ残っていない様な気さえしてしまいました。
そんな時に友人の一人がカーブスの体験会参加募集のチラシを持って来てくれました。数日前に友人同士の集まりでカーブスの事を話していたので、あの人もこの人もいろんな理由で入会している事を知っていました。体験会のしめ切りまで三日でした。
私は体験会に参加するや否やすぐに入会を決めました。自己判断はもうやめよう。きちんとしたトレーナーについてとにかく根気よくやってみようというそんな気持ちにつき動かされたのです。
カーブスは歩いても十分たらずの所にあったので、まるで友人の家に行く様な感覚で通えました。実家の母親よりも年上であろうと思われるメンバーの方たちの明るさと元気のよさはうらやましいほどでした。
「女は百(歳)になっても女だからね」
と言った人の言葉が頭をよぎり、少しだけ私は顔を上げることができました。
何をするにもうっとおしかった腰の痛みは相変わらずでしたが、ワークアウト後も家事はできるし、趣味だってできる。これでいいんだと自分の身体に少し寛容になっていきました。
毎月きちんと計測してもらい、一週間に三回カーブスに通うというくりかえしを雨の日も風の日も続けていきました。
これといって目に見える数字に動きがなかったけれど、私にとっては、「適度な運動を続けている」という感覚そのものが少し誇らしい気持ちにさせてくれる毎日でした。
入会して八ヶ月目の冬に初めて『カーブスプリンセス』に参加しました。私は週三回のワークアウトと共に〝食事は腹八分目〟〝夜は九時以降の飲食禁止〟を肝に銘じる事にしました。
それからちょうど『プリンセス』に参加して二ヶ月ほどたったある日の事です。いつもの様に入浴前にヘルスメーターに足をのせてみて驚きました。その数字に目を疑い、思わずのり直してしまったほどです。本当に信じられなかったのですがこの時、前日より二キロも体重が減っていたのです。何が起ったのか理解できず、これまでの記憶をたどっていくことにしました。
思い出してみるとそれは入会して三ヶ月たった薄着の季節でした。出先でばったり友人に会ったのです。その友人は私を見るなり、「ねぇ、やせた?」と言ったのです。私は、「べつに...」と答えたのですが、次の日もまた別の友人に、「やせたでしょう?」と言われたのです。自分では気づかなかったけれど成果はこの頃から少しずつ出始めていたのかもしれません。
プリンセス』が終了した頃には近所の人たちからも体形が変わった事を言われるようになりました。
「私、本当に変わったかもしれない」と思うと、ウキウキとワクワクの入りまじったなんともくすぐったい気持ちになりました。
カーブスを始める前の私は、自分の事を大切にしていなかったと思います。「もう四十八才」ではなく「まだ四十八才」でありたいのに、将来に目を向けようともせず、悲観的な場面にいつも自分を追いやってため息をついたり悩んだり。そして自分の可能性に対しても「あきらめる」と「あきらめない」の二つを常に天びんにかけていたと思います。それは私自身に〝ダメ〟という印をつけていた以上に〝ダメな事〟をしていたんだと少しずつ考えるようになりました。
「私はぜんぜんダメじゃない。今だってこれからだってできる事がたくさんあるはず」という気持ち――。これが、私にとっての、「生きる」という言葉の意味に思えてきました。
体験会のチラシを受けとったあの日の運勢を思い出す事など、とてもできない。でも私は心底思っています。あの日のラッキーアイテムは、
「友人がくれる一枚のチラシ」
だったんじゃないかと。