家つき カーつき ババ-抜きといわれた核家族主流の昭和30年代。
日本の高度成長時代、昭和38年21歳で見合い結婚した私は4世代8人家族の長男の妻として新婚生活を始めました。子育てをしながらの毎日でしたが、突然舅が倒れ、なかなか病名がはっきりしない月日が2年ぐらい続きました。入院しても3か月何の手だてもなく過ごしました。いくつもの病院での検査を受け、縦従靭帯骨化症(知覚障害・四肢麻痺ということで歩行はもちろん、自分の事が何もできない)という難病であることが解りました。
昭和46年、舅62歳、私29歳の時で、子ども達は7歳、4歳、2歳の子育て真っ最中でした。その当時、日本の医学会では頚椎の手術で成功した例はないことを主治医から聞かされ、舅は動けないでいるよりは命を賭けたいとの希望をはっきり伝えました。手術を受けるにも献血手帳を人数分だけ揃えないと受けられない時代で、幸い会社の労働組合が協力してくださいました。48人分の輸血を受け、8時間に及ぶ大手術を受けました。先生がたの並々ならぬご尽力で舅は無事成功しました。「大切な命ですのでどうぞお大事にして下さい」とのお言葉をいただき、その日から私の心の中に「どんなことがあっても"その状態に添っていこう"との内なるつぶやきが聞こえたような気がしました。
まさか...まさか。こんなに生きられるとは思わなかったと舅は時々口にしました。
大手術に成功しても歩行が出来たのは、わずか1年足らずでした。
それからが在宅介護の始まり、動かない体の重みはまた特別で、体重75キロという舅の体はとても大きく、いつも命づなが必要でした。介護保険も在宅介護の手だても無い時代でした。もちろん介護用品もほとんどなく手探りで4世代家族が「できる事を出来る人が出来るだけ」を合言葉に、そして、舅の身体に床づれをつくらない、何よりも考えた大事なことは「あと一人の寝たきりをつくらない」ということです。介護する人が元気でないと良い介護はできません、これは私の経験からのメッセージです。今日の日が明日につながることを考えながらの在宅介護でした。
在宅介護で22年、最後までこの家で過ごしたいと言っていた舅を在宅で看取り、その後孫たちと姑との4世代家族でなければ味わえない喜びであったり、支え合いであったりと生きる事の学びをしたような時期でした。80歳の姑の膝でひ孫がすやすや寝ていたりと絵に書いた人生の縮図のようでした。
4世代家族という姿は雑木林に似ていると感じる時がありました。枯れ木にも位置する姑の役割はひ孫の支えであったり、ひ孫から受ける家中の活気とか...。お互いの立場が無駄なく、なくてはならない立場にある事を教えられた年月でした。
そんな姑も82歳のある日、脳梗塞により半身麻痺となり、ここで又在宅介護の始まりでした。ひ孫が姑に髪をさすって上げたり、絵本を読んであげたりと、とても良い関係を経験することができました。家が好き、私を頼って信頼してくれた姑は女として私の大先輩でした。8年間の在宅介護で静かな最期を看取り、住み慣れた我が家から舅と同じくお葬式を出すことが出来ました。介護から看取り...口には言えないたくさんの学びをしました。嫁姑との嫌な思いをしたことがない私にとって、後悔しないようにと介護できたことは双方にとってとてもラッキーでした。
ご近所皆さんのお見送りをしていただけたことは何よりのよろこびでした。
お葬式から納骨と仏事をすませ、心寂しい日々を送っていたある日、急に私は歩けなくなってしまいました。やっと一段落し自分のことを少し考えたいと思っていた矢先の出来事にびっくりしました。結婚40年、その中での在宅介護30年、この事の無理もあったかなーと走り続けた日々を振り返っても元には戻れません。塀につかまりながら近所のお医者さんに通いました。レントゲン撮影をし、飲み薬と湿布薬での対応でしたが、いつになっても繰り返しでした。62歳の当時の計測で、体年齢67歳には腰抜けました。
ある日、余り薬が好きでない私は考えました。レントゲン検査で「すべり症」と診断され、手術ということは考えられませんとの言葉もお聞きしましたので、これは自分で筋肉をつけるしかない事を感じました。
近所に開設された「国分寺駅前カーブス」のちらしが救いの神でした。30分でできる・近所にある・女性専用との情報に24時間の中での30分、何としてでも作りたい、そんな気持ちで一歩前へ出ることができました。指導員の丁寧な説明、私の話をよく聞いてくださり、これはありがたい、ありがたいとの思いで気持が前向きになった時のことを今でも忘れません。
たくさんの仲間が筋トレと有酸素運動とストレッチで汗している姿を目にして、筋力の重要さ、続けることの大切さを実感しました。カーブスの会場に貯筋、肥満や病気は急にはならない、日々の生活の積み重ねとの表示になるほどと感じる情報がいっぱいでした。毎月の計測に学生時代のテストの成績を見るような充実感とワクワクさえ感じるようになりました。 コーヒー一杯の値段と時間を心地よい心拍にふれ、腹筋を鍛え、歩く事、身体を動かす事、物事を前向きに考えられること等、カーブスに通って変わってきた自分を発見できるこの頃です。3月の計測で、体年齢48歳を記録びっくりしました。これからもキープ出来るよう継続していきます。
地域で民生委員をさせていただいていますので、自ら足腰を鍛え、一人でも多くの皆さんと明るい挨拶を交わし、ロコモコンドロームのことなど話題にしながら、少しでもお役にたてたら...と楽しくカーブスに通っています。
街の中で目にする人生の先輩の生き方に、自分の人生のこれからを重ね、今、何をしなくてはならないか、自分の責任を強く意識しました。
別記
在宅介護で苦しんでいる方へのメッセージとなれることを願い、在宅介護20年「難病の父を支えあった四世代家族」「在宅介護ってなあに」という著書を出版する機会に恵まれ3000部を自費出版しました。