「お母さん仕事やめていい?」
宮城県村会から勤続30年の感謝状をもらった日の夕食の時でした。55歳を目前にし、私は体力的にも精神的にも限界になりつつありました。仕事に明け暮れ、残業に追われ、疲れた体で家事をこなす毎日。追い討ちをかけるようにリュウマチであるとわかってからは、家族に対する不満や愚痴も多くなり、イライラから主人との些細なけんかも・・・
 介護状態の母をみることも出来ず、亡くなってからは「私はこの状態のまま年を取っていいの?」と自問するようになりました。家のローンも終わり、二人の子供も大学を卒業させ就職し、何のために働いているのか、目的を失っていた時期でもありました。このまま定年を迎え、老後に向かうのは、今までの頑張りや苦労が報われない。そんな気がしていました。習い事をしたり、海外旅行を楽しんだり、ボランティア等、いろんなことに挑戦したいそんな気持ちからの言葉でした。
 
 主人は「いいよ」と一言。娘は「おかあさんゆっくりして遊んだら」東京にいる息子にも電話をかけました。「苦労をかけたから自分のしたいことをして楽しく生きて」と全員の賛成の声があり、胸につかえていたものがすっと取れ楽になりました。

 「お母さんはこれから退職金で習い事と旅行をし、遊び人になります。」と宣言しその年に仕事をやめました。
 最初の半年は、温泉・バスツアー・海外旅行と遊びに明け暮れ、合間に家のことをしました。その後は何をすればいいかわからずぼんやりする日が多くなってきました。
 そんな時、東日本大震災が起きました。公務員の主人は仕事で帰れない、医療関係の仕事についている娘もいそがしく高齢の父がいることもあり家を守らなければと頑張り、このときは仕事をやめてよかったとつくづく思いました。
 震災でもボランティアという言葉は頭に浮かびましたが、リュウマチの自分では足手まといになると思い行動にはうつすことができませんでした。しかし、落ち着いてくるとまた何かをしたいけれどそれが何か見つけられないあせりの日々が始まりました。
 そんな時、前の職場の先輩からカーブスを紹介されました。毎年のちょっとずつの積み立てでだいぶ増えてしまった体重を気にしていろいろなことに挑戦はしてきましたが、年だからとあきらめてもいました。
 無料体験だからという言葉に迷いに迷い自分としては意を決して参加してみました。コーチの明るく、楽しい話術もあり「あれもう一週間」と思うほどで迷うことなく入会しました。
 入会には主人には内緒にしました。10㎏やせてびっくりさせたいと思ったからです。入会して半年、体重は停滞期どころか入会時より増えることも・・・
 でも、今は成果が一番ではなくなりました。カーブスに行くことが一番の楽しみになっていったのです。仕事での出勤ではなくカーブスに出勤する気持ちです。出勤簿も準備されています。体と心に気持ちのよい汗と風が流れているのを感じる毎日です。気軽に話せる年代の違うお友達もたくさんできました。人生で一番楽しい季節だと感じています。
 入会して6ヶ月、プロテインの試飲をしました。より効果を期待しワークアウト後は毎日飲んでいます。プロテインコーナーで数人で飲んでいるとおしゃべりに花がさき、カフェ気分です。
 
家族にも明るく接することができる自分がいます。主婦は家族の中心です。朝は「いってらっしゃい。気をつけて」夕方は「おかえりなさい」を大きな声で元気よく自然に言える自分に気付きました。
 ほんと、カーブスでこんなに変われたんだと感謝・感謝の毎日です。家族にも感謝です。今は早く10㎏やせ、「私たち、カーブスで変わりました」に掲載されることと、主人のカミングアウトし、パリのシャンゼリゼ通りを手をつないで歩く事を大きな目標にしながら毎日ルンルンな日々を送っています。
 カーブスは私の「生きる力」です。