朝だ。窓を開けて「おはようっ。」と庭の草木にも挨拶をする。
 山茶花、水仙、きんこうせい、アロエ、シンビジウムも長いこと咲いてくれていてありがとう。「今日もよろしくね。」と語りかける。
 深呼吸をし乍ら「今日もよい一日でありますように。」と自分に問う。
 そして「生きていて良かった...。」と深く思うほんのひとときでもある。

 「ねたきり老人にはなるまいぞ。絶対にねたきりにはなりたくない。」の信念をもち、カーブスに通って三年。三八才から八六才まで文字通りねたきりの母を看てきたり、自分が急性腰痛で一ヶ月病院のベッドに居たら、自分の体であり乍ら他の人の体のようになってしまい、歩けなくなってしまってナニコレ、びっくりがっかり、筋力の大切さを身をもっておもい知らされたのである。
 入院中車椅子で何をするにももどかしく家族や親戚にも迷惑をかけたくない、かけてはならぬとも思っていたからです。

 最初、近くの何でも話せる奥様からお誘いされた時は子供の時から体操嫌い、続く筈もないと思っていたのに一四分歩いて、カーブスのドアを開けると先ず、スタッフさん達の明るく元気な挨拶に迎えられ、いつも沢山のメンバーさん達も心地良いリズムに乗って、それぞれの動作、ものすごく活気のある横須賀大津会場である。
 今日も元気をもらえそう。「頑張ろう」の気持ちでいっぱいになる。
 歩けてカーブスに通えるたのしみ、食事も美味しい、落ついて家事も出来る、本も新聞も読める、そして落ついてテレビも見れる。
 普通の生活が出来るようになったありがたさと、倖せをかみしめている最近である。(世の皆様からしたらそんな事、あたりまえと云われるかも知れませんが、家族みんな健康である時、空気なんかあってあたりまえと同じように、空気、大自然のありがたさを無意識に、極、当り前として暮していれば、そんな事よりもっと他の事を考えるのは普通でしょうが)と云うのは、思いおこせば五十六年前の自分には現在の生活を出来るなんて夢の夢、の毎日だったからです。私個人の小さい乍ら数々のドラマの中を通りぬけてきたんです。

 実は私レストレッグス症候群だったのです。あちこちの病院、内科、外科、神経科、整形、婦人科、折にふれてはドクターと名のある先生にはチャンスある毎に聞き込みましたが、どの先生も「三万人に一人居るかどうかの奇病で、医学書には書いてあるんですが、治療法はないんです。」とのこと。
 私とすれば「何の為の病院なんですか?どうして治せるように研究をしてもらえないんですか。」一瞬少々立腹感にも等しいようながっかり感は忘れられません。
 何しろ発作がおきると脚全体が言葉に云いつくせない程の不快感、そして自分の手でおさえきれない状態に暴れてしまうので、「こんな脚いらない、切取ってしまいたい。」この辛さを病院の先生にも判ってもらえないのか。日夜問わず発作があるので毎日夜が恐ろしく、夜なんか来なければいいのにと、身心共に常にどん底に等しく、そんな頃ほんとに本当に真剣に場所と方法、自殺の事を考えておりました。
 一生こんな病気で苦しむんだったら、今すぐにでも自分をこの世から断切ってしまいたい。その時小学四年生だった娘に「お母さんぜんぜん笑わなくなってしまったね。」と云われ、ハッと我にかえったのである。(このひとことがなかったら、今の自分がなかったとも思う)
小さい子供の目から自分をみていたのかと思うと「これではいけない。自分一人だけを考え、単なる逃げ道ではないか...。」なんとかしなければ。
 主人もマッサージをしてくれたり何かと協力してくれたものの、思うようにならず。私は脚をきつくたたいたり、氷水をつくって足をひたしたり、回転椅子の鉄部分に脚をおしつけたり。(実家は信州志賀高原の下なので、冬は雪の上を素足で歩いたりしてまぎらわしていました。)
 疲れてねむいのに非道い時は徹夜状態、寝室から他の部屋へ移っておもいっきり転げまわったり、バタバタしたり、柱に脚をぶつけたり。
 病気は気からとも云われているし、頼みの病院からさじを投げられてしまったとあれば、自分の体、自分でなんとかしなければと半分開き直り、生きなければ...と変ったのかも知れない。

 カーブスに行くようになってからは、マシンは買えないので家では真夜中でもストレッチをくり返して老体に鞭打って体を動かしたり。
それが、それがだったんです。九月二日の朝目覚めた時、主人に云われたんです。「夕べはお前があまり静かだったんで、もしかして死んでしまったんじゃないかとドキドキし乍ら、呼吸をしてるかどうか確かめてしまったんだよ。」
 「えっ、そうだったんですか。そう云えば、ぐっすり眠ってしまっていたんですね。」
 熟睡できるってこんなにもありがたく、倖せなのかと改めてかみしめました。私にしては思いもよらぬ、予期せぬ嬉しい、生れ変った最高の記念日ともなったんです。
 ローマは一日にして成らず、とか、継続は力なりの言葉があるように、何事もあきらめないで頑張らなければと思ったり。痛くて家の中を動くのも億劫、夜ねがえりをするにも大変だった腰痛も、今日こそは明日こそはと必死でマシンと対話し乍ら、九十パーセントよくなってびっくり、体験で実感した雰囲気でもありました。
 カーブスに行くと毎月一回計測もしてもらえて「みんなキープされていていいですね、体重はもっとあってもいいと思います。」と云われひと安心。
 が、時には体脂肪が一%上る時もあって食事に関して反省したり、食品の指導、そして健康管理もしていただき、主人も安心感謝している。
 自分はこの年齢にして学識もなく人体生理学にうとい故、ほんとに小さい事でもスタッフさんに丁寧に説明してもらえるので、自分の体なんだから出来る事は実行してゆかなければ、と思っている。
 そして「健康は一つだけ、病気は千以上あります」「治療は限りあるけれど、予防は無限です」等、判っていそうで日常無意識だった標語を大きな文字で、運動し乍らでも良く見えるように、あちこちにはりつけてある。
 ―大なり小なりの社会情報を得られる時もあり、そして人生勉強の場でもあるんです。
 
 カーブスでの出会いから、道を歩いている時でも挨拶あり、お話出来たり、表情が明るくなったね、と云われると嬉しさも大である。
 週三回三年通っていると、一生懸命やっている心算でも自分で操作し易くしている時もあるらしい。チェックされて、呼吸と筋肉の使い方もきちんと教えていただけるし、若いのに流石にスタッフさん達、尊敬しています。
 始めた頃は、一番苦手だったオブリークが今では筋肉の使用度も把握できるようになって、一番やり甲斐のある大好きなマシンになりました。
 カーブスに誇りをもって通っています。苦しさ我慢から解放されて、最高に倖せの今、せめて一日が二十五時間でもあってくれたらと思う毎日です。
 勝手乍ら、明日もカーブスが待っていてくれる。自分も生きてきたからこそ、とも思っている次第である。