四年前の七月十一日、後数時間で夜勤が終わる。その瞬間、ピキッと云う衝撃と共に激痛が走った。少し動こうとするだけで容赦なくそれは襲ってくる。
 やっとの思いでMRIを撮ると、数年前に指摘されていた腰のヘルニアが大きくなり、おまけに滑膜のう胞まで付いていた。そいつは限られたスペースしかない私の身体の中で神経の邪魔をしているという。
 看護を仕事に持ちながら、病院嫌いで薬も飲みたくない小心者が鎮痛剤の点滴やら薬やらを痛みから逃れたい一心で続けるはめになってしまったのだ。
 当然かがめず、うつむけず何か床に落としでもしたら拾えない。例え一億円が落ちていても...。
 結局、有休を取る事になったけれど思う様に動けないのが、こんなに辛いものなのかとその時に理解できた様に思う。今迄いったいどれだけの患者さんに痛みはどの位か、しびれはどんなだとかと聞いてきただろう。昨日まで当たり前に出来た事が、ある日を境に出来なくなる恐怖。仕事はどうなる?このまま良くならなかったら?浮かんで来るのは悪い事ばかり...。
 腰は重い鉛を、左足は太腿から膝まで歯医者さんで麻酔をかけられた時の様なしびれがあり、部屋の中でもコロコロ転んでしまう。
「どんぐりじゃあるまいしコロコロって...。」
 自嘲気味に云ってみたものの涙が止まらない。
「なんで?なんで今なん?」
 考える時間があり過ぎて、このまま消えてしまえたら楽なのに。
 それから一週間、一ケ月と過ぎ二度目のMRI。小さいけれど大きな奇跡が起きた。おまけのあいつが吸収されていたのだ。何と、安静で消える確率は二パーセント。相変らず左太腿から膝の感覚は鈍かったけれど我慢できる位の痛みになってきた。仕事を休んだのは公休と最初にもらった一週間の有休だけだったが、やはり気を遣う。まずスピードで走れないし階段は到底上り下り出来ない、中腰にもなれない。注射に廻る時は丸椅子をお供に連れて行き、変な歩き方にはなるけれど一番痛くない角度を研究して歩く。そう、出来ないなら出来る様に工夫したらいいや...。
 上司や医師からは手術しかないと云われ続けるが簡単には決められないし怖かったのだ。
 今迄と違うのはなるべく目立たず、白衣を着ている間は痛いなんて絶対に云わないと決めた事。時折、電気が貫く様に痛みが走る時は左足をさすりながらつぶやいた。
「足さん、私の足さん頑張って。」
 でもひとつだけ良かった事がある。傷なら誰が見ても痛そうだと解るけれど、痛みや痺れは目に見えない。自分に起きているからこそ元気な時よりも理解できる様になれたと思う。痛む左足に時にはやりきれなさで治らないならちぎれてしまえば良いのにと何度も思ったりもした。たたいた時もあった。
 昨年の十一月のある日、運命を変える出会いをするとは夢にも思わなかったのだ。
 滅多に行かないスーパーに立ち寄った時の事。カーブスの文字が何故か目に留まった。
 いつもならそのまま通り過ぎるはずなのにその時は違っていた。何か書いてあるなと思い立ち止まると、そこには様々な年代の方の体験した事が貼られていて同じ様に手術しかないとか、歩けなかった人が元気になれた話が綴られている。しかも一人じゃない。あの人もこの人も!
「こんな事があるのかな...。でも自分には場違いじゃないかな...。」
 等と思いながらひとつひとつ読んでいるとスーッとドアが開き優しそうな笑顔の温かい雰囲気をまとった女性に声をかけられた。
 今迄の自分ならそのまま断りその場を立ち去るだろうに何の抵抗も感じずドアの向こうに付いて行くと中には明るい表情の人達が運動する姿があった。数日後に体験をしてみる事になりもう一度あのドアの向こうに足を運ぶと名字ではなく名前で呼ばれていたのに驚き、誰もがイキイキとしているのにも驚いた。
 一通りお手本を見せて頂きながら回っていくうちに何か楽しそうな気分になってくる。
 その日の内に入会を決め通い始めたのだが最初はボードで足踏みどころか立っているだけで精一杯。蛋白質もそんなに摂れず肉も魚も卵も嫌になりかけたりもした。それでもコーチはいつも笑顔で
「大丈夫、あせらなくていいですよ。」
 と励まし続けてくれる。不思議な事に通ううちに奇跡が次々と起きてくる。まず一ケ月過ぎた頃には体重が四キロ減り蛋白質も摂れる様になった。クリスマスの朝には目覚めるといつもと違う。痛くて迎向けになれなかったのに迎向けで寝ていた。杖なしで長時間歩けなかったのにスーパーを休まずに歩けたり風邪も引かなくなった。二ケ月後には憧れのクイーンのライブの為に大阪に行く事が出来た。最初はチケットを見ても行けるだろうかと不安で仕方がなかったのに、身体だけでなく少しずつ気持ちにも変化が出て来た。行けるだろうか?から行けるかな?に、そして絶対行ける!!になったのだ。痛みもゼロではなかったのとバスでの長時間の移動に不安がなかった訳でもない。けれど
「私にはカーブスがある。コーチも応援してくれている。」
 それがどれだけ心強かった事か...。
 案の定ライブの後は疲れてしまい、やっとの思いでホテルに戻り、翌朝再びバスで帰って来る。荷物を置いて、いちばんに向かう先はカーブス。
筋肉痛になってしまったけれどまずは夢をかなえてくれたMコーチに報告したかったから。
 あの日、見つけてくれなかったら、声をかけてくれなかったら今の自分はいなかった。
沢山の奇跡と、数え切れないハッピーを届けてくれたのはコーチです。
見つけてくれてありがとう。
カーブスにつないでくれてありがとう。
貴女のおかげで今がある。

私にとってカーブスは元気になれる場所。
そして名前の通りSコーチは、ハッピーの伝導士です。
さあ今日も前を向いて振り向かずに進もう。